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稲沢番楽とは

 

 

「番楽」は、秋田・山形両県で伝承されてきた能楽の古形を残している神楽の一種で、

青森、岩手では「山伏神楽」、宮城では「法印神楽」と呼ばれているものと同系のものと考えられております。

 

 

「稲沢番楽」は、金山町の中心部から北東に約4kmのところに位置する

金山町有屋地内「稲沢地区」に伝承されてきた「五穀豊穣・悪魔退散・家内安全」を祈る力強い民俗舞踊で、

言い伝えでは神室の山伏が里におりて舞ったもので600年の伝統をもつと言われております。

 

 

戦前は旧暦の8月14日、熊野神社祭礼に祭の頭屋で演じられ、その夜は一晩中舞い明かされました。

当時は「番楽ができない人には嫁が来ない」とまで言われ、地区の若者は寸暇を割いて稽古に励み、

晴れの日に選ばれて出演した人達にとっては大きな誇りであったそうです。

 

 

終戦後の混乱もおさまり、経済復興も進んだ昭和30年代になると、

伝承芸能に対する見直しの機運の中、稲沢番楽は各地の芸能大会に出演し、

地域あげての支援と長い伝統を背景とする格調高い演技が高い評価を受けました。

 

 

昭和30年代末から40年代になると農村の変貌により、多くの青年は職を求めて都会に出て行き、

またテレビの普及等により、娯楽を簡単に求めることが出来るようになったことにより番楽の伝承者は高齢化し、

地域ぐるみの活動も減少したために地区民の連帯感も薄れてきました。

 

 

地区ではいち早くこれに対応して昭和39年8月に地区内全戸加入による「稲沢番楽保存会」を結成し、

地域に残った若者や児童生徒を対象にした後継者の育成を図りましたが

時代の流れに対応しきれず、活動は低迷したままでした。

 

 

昭和50年代に入るとようやく番楽を見直す機運がでてきました。

稲沢地区等を学区とする有屋小学校が、郷土の伝統文化を学習させることになり、

子供に誇りと自信を持たせようと「稲沢番楽」を学習に取り入れることになったのです。

「有屋少年番楽」の名称で昭和59年6月に結成し、多方面からの応援を得て、

番楽の揚げ幕や衣装等の諸道具が学校に備えられ、番楽を伝承する稲沢の吉老を指導者として、

学校の課外活動として行われるようになりました。

 

 

また地区の青年達にも番楽の伝承を通じて、

活動の停滞していた若連(青年団)活動の活性化を図ろうとの機運が出てきて、

番楽の舞台を備えた新しい地区公民館の建設を契機に、

平成元年度から毎月第2日曜日の夜に番楽の稽古が行われるようになりました。

 

 

現在は、正月元日に元朝祝いとして、

また8月14日に地区から望む霊峰・竜馬山不動明王の祭日に奉納する舞として舞われています。

このように稲沢地区では「稲沢番楽」という格調高い民俗文化の保存・伝承を通じて、

新たな地域づくりと世代間交流に取り組んでいます。

 

 

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