峠の酒  (連載七)

作・篠田次郎

 帳場は来客で賑わっていた。お茶と漬物が供されていたが、「にごり」や「澄み酒」を飲んでいる者もいた。あの柔らかな甘く優しい香りが満ちていた。その中に、朝早く訪れた古手屋も交じっていた。利にさとい商人のことである。これだけの人が酒と漬物で談笑しているところはまたとない商売の場だと民之助は思えた。
 だが、古手屋は目立たずにいた。誰かが汲んできた酒を、すするように、噛み締めるように飲んでいる様子がちらと目に入っただけである。商人の馴れ馴れしさも人当たりの良さも、計算も狡猾さもうかがえない真摯な顔つきで酒をすすり、小首を傾げたり軽くうなずいたりしていた。その様子には誰も気づかなかった。まるで影のように目立たずにいたのである。
 民之助は、「この男に酒がわかるのだろうか」といぶかった。だが、大勢のひいき客の会話に引き込まれ、古手屋がそこに居ることは忘れてしまっていた。「山吹屋さん、褒めるわけじゃないが、あんたんとこの酒はいつ飲んでも格別に旨いがね」と味ききで有名な小売酒屋の番頭が言う。みんながそれに和するようにこもごもに峠の酒を褒める。「これは民之助さんの腕がよいからじゃ」と誰かが言うと、みんなが合わせてはやし立てた。
「俺の腕がいいなんていうことはない」。おだてには乗らず、民之助は自分の酒が褒められる理由に思いを馳せた。そりゃ、この山吹屋に来て二十年ほど酒づくりをやってきたのは事実だが、俺が酒づくりの技を持っていたなんていうことはない。
 では、水がいいからか。山吹屋を訪れる人、前の道を通る人が必ずといっていいほど、帳場の前の筧の水を美味しいと言って飲む。この水は、ずっと前から流れていたに違いない。そんな昔から峠の酒がいいと言われたのではなかった。俺がここに入る何年か前、山吹屋に何かがあったのだ。俺には義父に当たるうこんの父親が死んだ。うこんが酒づくりを始めた。うこんに酒づくりの特別な腕があろうとは考えられないが、うこんが酒をつくり出してから峠の酒の評判が上がったのは間違いない。そのころ、ふた造りだけ、新という若者が酒づくりに参加している。その新が酒づくりの妙技を持っていたのだろうか。そうだ、それしかない。
 新は何者だったのだろうか。正体はわからないが、旅に行き暮れて一夜の宿を乞うたただの旅人だったはずだ。酒づくりの経験や技があるなら、杜氏働きとして酒蔵で働けたはずである。それが薪運びの手伝いを切っ掛けに、山吹屋に居座ったというのがおかしい。しかし、新が酒をつくってから、酒質が上がったのは間違いない。そんなことには無頓着だった若いころの民之助にでさえ認識できるほど酒質が上がったのを覚えている。
「新という男が、山吹屋に何かを持ち込んだのであろうか」。

 ごった返ししていた帳場も、これから町まで酒を担って帰らねばならない酒買いの客はあまり長居するところではない。天秤棒に酒樽を提げ、三々五々、帰り始めた。やってくる時はぽつりぽつりだったが、帰りは潮が引くようにいなくなった。一人だけが居残った。京古手商人だった。それまで、人混みの中に居たか居なかったかわからなかったのに、一人になると、その大きい体が帳場を独り占めしているように見えた。
 民之助はその大きい影のような男に聞いた。
「古手屋さん、あなたは諸国をお回りになっているのでしょうが、どこの酒が旨いと思いましたか」。
 そう聞いてから、「しまった」と思った。旅の者が造り酒屋に立ち寄り、酒を振る舞われてどこの酒が一番旨いかと問われ、どこそこの酒が良かったと答えるはずはないと気づいたのである。男はそれにはすぐには答えず、少し身構えたように口ごもった。そこで民之助は、重ねてこう言った。
「酒は水ですかねぇ、土地ですかねぇ。それともつくりの技ですかねぇ」。
 男の表情があの商人の慇懃さ、いろんな世間を渡ってきた世慣れた顔つきから、瞬間、きっとした別な顔をのぞかせた。だがすぐ相好を崩して、
「そりゃ旦那、水も土地柄もありますがな、一番は酒をおつくりになる旦那の技でっせぇ。えへへへへ」とお追従笑いで答えた。「それにこちらの蔵は、旦那がご自分で酒をおつくりになっておられるとお聞きしておりましたよ」と続けた。



○『峠の酒』は「富田通信」20周年のお祝いに篠田次郎先生からいただいた未発表小説です。
○『峠の酒』につきましては、無断複写、無断転載はお断わりいたします。
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