峠の酒  (連載一)

作・篠田次郎

 陽ざしが差し込まないところにはわずかに雪が残るものの、山全体は紅ばんでにじんでいる。風の冷たさの中、息吹が戻ってきているのがわかる。陽だまりに道が隠れるあたりは、もえぎ色が湧き出ている。民之助は家の前に立ち、あるいは戸を開け放った店の中から、谷を挟んだ向かいの山を縫う道を眺めていた。
 酒の仕込みが全部終わり、朝仕事はない。朝餉を終えて、外を眺めていると、心が晴れ晴れとするのだった。
 道をやってくるものは、ほとんどが埴崎(はにざき)の町から民之助の店に酒を買いに来る人である。酒づくりが終わるこの時期、人が恋しく、暇があれば民之助は向かいの山道を見続けていた。
 そこに見えた人影は、いつもの人たちのように天秤棒を肩に担いでいたが、空の酒樽を提げているのではない。山を背にして横歩きの姿勢で、右足だけがせわしく歩を進めているように見えた。荷は紐でくくられていた。「誰だろう」。遠くてはっきりはしないが、民之助には見覚えのない人であった。足の運びから、旅慣れた人であることは察しられた。人影はやがて木立と山に隠れる。それから谷に架かっている小さい橋を渡り山吹屋の坂を上がって目の前に出るまでしばらくはかかる。民之助は春の陽をまぶしく受けながら、男が上がってくるのを待っていた。
 山吹屋の前には、筧(かけひ)が水を落としている。この水がいいから、「峠」の酒はいいのだと評判の水である。そこにいつも柄杓が置いてあるから、山吹屋に来る客も、数は少ないが峠を越す旅人も、筧の水を汲んで一服するのが常だった。
 坂を上がってきた男は民之助を見ると目で会釈をした。太った大きい男で、商人らしい慇懃な物腰を感じさせた。筧の前に荷を下ろし、柄杓で水を汲んで飲んだ。それから立ち待ちしていた民之助に丁寧にお辞儀をし、懐から手ぬぐいを取り出して汗を拭いた。「通りすがりの古手屋でございますがな」と挨拶した。上方の言葉遣いだった。民之助は身振りで店に入れと招き入れた。
店、それは民之助が仕切っている造り酒屋「山吹屋」の帳場である。民之助は酒屋の主で自分で酒づくりをしている。峠にかかる斜面にわずかな土地を棚田にした田んぼで出来る米を酒に仕込む。この峠宿からさらに沢づたいに分け入り炭焼きをしている数軒の人が冬の間酒づくりを手伝っている。
 この峠宿から山道を下り、小一里ほどいった埴崎や、埴崎の殿様の本家がある埴生にも、峠より大きい酒蔵があるが、それらの蔵では、出稼ぎの酒づくり職人の杜氏(とうじ)が酒をつくり、蔵の主はもっぱら帳場だけをやっている。主が自分で酒づくりをしているということは、造り高がごく小さいということでもあった。この冬の酒づくりが終えたのに、民之助の衣服は作業着である。小さいながら酒蔵の主なので、民之助は人々から「旦那、酒蔵の旦那、峠の旦那」などと呼ばれていたが、見たところは中年の、日焼けはしていないが、体を動かしていることが仕事だとわかる中肉中背の体つきであった。
 旅人に座布団を勧め、上がりかまちに並んで掛けた。
「峠を越えた向こうからの注文を届けに参りましたのや。今朝、これもごひいきの埴崎のお家を出ましてなぁ、この道を通ればすぐだそうで」と、旅慣れているような口調で話した。古手屋は、京の古着を地方に売りさばく行商人である。それぞれの土地には、普段着はあったが、紋服や婚礼衣装などはもっぱら京の古着があてられていた。
 民之助はこの古手屋が自分より若いと踏んだが、きっと商才に長けた男だろうと思った。通行手形を持ち、ふるさとの産物を隣の国へ売りさばき、そこの産物をそのまた隣の国へ売りさばき、しわい商売で得た利益を遊びに費やしているふうに見えた。
「この蔵の旦那さんでございましょう。埴崎でも、いや埴生でもお噂は伺っていますよ」と古手屋はいう。民之助は帳場の火鉢にかかっている鉄瓶の湯を急須に注ぎお茶を勧めた。古手屋は煙草入れを腰から取り出し、煙管に刻みを詰めて雁首を火鉢に近づけて火をつけ、大きく煙草を吸った。



○『峠の酒』は「富田通信」20周年のお祝いに篠田次郎先生からいただいた未発表小説です。
○『峠の酒』につきましては、無断複写、無断転載はお断わりいたします。
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