|
||
クイズ! お酒ゼミナール 残暑お見舞い申し上げます。 東北地方は7月26日に梅雨明けしたとみられるとの発表が気象庁からありました。新庄は、翌27日から連日真夏日が続き、特に31日から8月3日までは最高気温が35度を超す猛暑日となりました。 この連日のうだるような暑さに加え、先月下旬からの連夜の新庄まつりの山車制作、さらにはロンドンオリンピックのテレビ観戦が重なり、すっかり夏バテしています。 今年は2月に母が亡くなったこともあり、祭りへの参加は見合わせようかと思っていたのですが、だんだん祭りが近づくにつれ血湧き肉躍りってなわけでもないのですが、しっかりと毎晩、山車つくり、そしてその後の飲み会に参加しています。まあ、夏バテは自業自得ってものです。・・・エヘっ。 さてと、気を取り直して、8月恒例のクイズ!お酒ゼミナールと参りましょう。 【問題1】「藪の友(やぶのとも)」と言われる酒がありますが、どんな酒でしょう。 (1)どぶろく (2)焼酎 (3)みりん 【問題2】1kgのデンプンを含む原料をアルコール発酵させると理論的にはどれほどの炭酸ガスが発生するでしょう。 (1)約30リットル (2)約300リットル (3)約3000リットル 【問題3】日本の酒器である盃はどうしてコップなどとは違い、平たいのでしょう。 (1)その始まりが貝殻からきたものだから (2)日本人は体質的に酒に弱かったので、底の深いコップ型の酒器は受け付けなかったから (3)日本は家が狭かったので重ねておける小さな盃は場所を取らなかったから 解答と解説・・・ 【問題1】(1) 今でこそどぶろくは「どぶろく特区」とか、あるいは祭事に用いるために一部の神社にしかその製造が認められていませんが、明治31年までは法律で認められていて誰でもつくることができました。 ところが当時、世界の列強に肩を並べなければ国が滅ぶと軍備増強、富国強兵に必死だった日本は、当時国家予算のかなりの部分を占めていた酒税を大幅に引き上げ、それでも足りないと自家醸造であるどぶろくの製造を禁止する法律を発し、酒は買って飲まなくてはならないようにして税金の確保に走ったのです。 庶民は隠れてどぶろくをつくるようになり、どぶろくの名前そのものも仲間内だけでわかる暗号で呼ばれるようになりました。「藪の友」もその中の一つで藪の中で密造し、隠れて飲んだことからきた名前でしょう。 余談ですが、法律で禁止してもなかなかどぶろくつくりが減らないことに業を煮やした政府が、「どぶろくは体に悪い」とか「どぶろくを飲むと身体障害者が産まれる」とかなんの根拠もないデマを流し、不安をあおり、どぶろくつくりを根絶やしにしようとしました。ちなみに理化学研究所の鈴木梅太郎らが大正時代につくった理研酒(いまでいう合成清酒)のキャッチコピーには「米を一粒たりとも使っていないから衛生的」というのもありました。笑ってしまいますね。と同時に、昔も今も、状況次第で平気でウソをつく政府っていうのも変わりありませんね。 【問題2】(2) 理論的には1kgのデンプンを含む原料から0.72リットルの純アルコールと約300リットルの炭酸ガスがつくられます。 その仕組みはデンプンを麹や麦芽の酵素が糖分に変え、その糖分を酵母がアルコールと炭酸ガスに分解します。 しかし、実際には原料中のデンプン(または糖分)の一部は麹菌や酵母が増殖するために消費されたり、発酵過程でアルコールの一部が空気中に蒸散したり、もろみの蒸留(焼酎)や上槽(清酒)の工程で欠減が生じたりして、上記の理論上の数値は得られません。 【問題3】(1) 『酒雑学事典(毎日新聞社編)』より 卑弥呼や邪馬台国の所在地さがしの原典として、再々引き合いに出されておなじみの『魏志倭人伝』は2006語程度にすぎない記述で、それだけに、一語、一語がすこぶる大切だし、また、そこから考えられる可能性の広がりが、われわれに古代に対する限りないロマンを与えてくれるわけだ。 その中に「無牛馬虎豹鵲」と記載されている。これをそのまま信用すれば、当時の日本には、牛とか馬、虎、豹、鵲(かささぎ)などはいなかったことになる。虎とか豹はともかく、家畜としての牛とか馬もいなかったということは、家畜を飼う習慣が日本にはなかったのか。とくに、牛の場合にいえるように角のある動物は日本人にはなじみのないものだったのかもしれない。 ワイングラス、ビールのジョッキにしても、いずれも底の深い入れ物で、日本の盃のように浅くて広いものは世界でも珍しいものだ。 中国、オリエントなどで発掘・発見される有史以前に使われた酒の器は、ほとんどが底がとがっていたり、丸くなっていたりして据わりの悪い、または、手を離しては置けないような器で、いわゆる尖底土器である。 中国、中東、ヨーロッパなどの酒の器は、そのほとんどが動物の角をかたどったもので、騎馬民族文化圏の人たちにしてみれば、牛とか山羊の角などはいちばん親しみ深いものだったのだろう。だから、初めは角そのものに酒を入れ、次いで、角をかたどった酒器に発展してきたものだろう。さらに、ヨーロッパ北辺の海洋民族まで、角型のジョッキを使っていたのだから、尖底の酒器は、世界のどこの国々の人たちにしても、少しも珍しいものではなかった。 ところが日本は、農耕民族といっても、とくに閉鎖的な独特な文化圏を形成していたから、獣の角などにはいっこうに親しめなかった。 一方、日常的に慣れ親しんできたのは、貝塚の発掘などからもわかるように貝殻で、酒を飲むにも貝殻を使い、土器を使うようになっても貝殻をかたどった盃をつくったのだろう。 世界中の古代に生きていた尖底酒器が、日本の長い歴史の中には姿を現わしもしなかったということは、盃を通して日本人の酒に対する考え方は、世界各国の人たちとは、完全に違ったものであったことは事実だろう。 |
|
○富田通信を書き始めてからもうじき25年。順調にいけば来月300号になります。我ながらよく飽きもせずに続いたものだと驚いています。でも、そろそろ潮時かとも思っています。今月号もまだ出来ていないのに、来月の話題は何にしようかなどと暑さで溶けかかった頭でぼんやり考えてます・・・。 |
E-mail:tomita@vega.ne.jp ->メール |