第241号(2007.10.10)
日本酒で乾杯推進会議って???
 残暑厳しかった9月も終わり、10月になると最低気温が10度を割り込む日も出てきました。裏庭の柿の実もかすかに色づきはじめました。秋本番ですね。

日本酒で乾杯推進会議って何?
 先日、人から聞いた日本酒で乾杯推進会議って何だろうと思いインターネットで調べてみたら「日本文化のルネッサンスをめざす」という副題のついたきれいなホームページがつくられていました。
 一番真っ先に目につくのが以下に紹介する「日本酒からの手紙」というものです。

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「日本酒からの手紙」
ニッポン人には日本が足りない、と言われています。
「和服をさりげなく着こなしてみたい」
「ほどよく美しい言葉で語りかけたい」
この国で育まれてきたよき日本文化の数々。私たちがほんの少し心がけるだけで、まだそれが取りもどせそうです。

日本酒を粋に飲んでみたいと思いませんか。
日本酒は、長い歴史の中でしなやかな感性とすぐれた技術で磨きあげられてきました。
甘くて辛い「妙味の酒」。特定の料理を選ぶことなく、心身を癒し、ご縁をつなぎ、和(なごみ)に酔うお酒です。

あらたまった礼講からにぎやかな無礼講に移るとき、私たちは乾杯します。
「みなさまのご発展とご健勝を祈念して・・・」
何に向かって祈るのでしょうか。カミ様?ホトケ様?ご先祖様?
ニッポン人の心の奥底に宿るものとふれあうとき、新たな力がうまれるはずです。

これからの人生をますます豊かなものにするために・・・。
日本酒で乾杯!
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 さらには下記のような趣意書まで添えてあります。

「日本酒で乾杯推進会議」設立趣意書〜日本文化のルネッサンスを目指して〜
 “最近のニッポン人には日本が足りない”と多くの心ある日本人は、今日の日本、明日の日本に危惧の念を抱いているのではないでしょうか。
 日本が誇りとすべき伝統的な食文化や伝統芸能、伝承していくべき作法や風習もグローバルスタンダードとか高度情報化社会というものの表面的な形にとらわれて次第に失われていこうとしています。
 今日のわが国の社会では、学校教育の現場や家庭において、個人の自由とか個性の重視ということにはしるあまり、自己中心主義や物質中心主義が横行し、日本人の美徳であるべき節度や謙譲、和の精神、感謝の念や恥の意識といったかけがえのない「心」が失われてきているように思われます。
 また、昨今では冠婚葬祭などの際に行われる伝統的な酒宴までもが形骸化し、日常の食生活においてはファストフードなどの新洋食化が進み、長年培われてきた優れた日本人の味覚は後退し、日本の食文化や生活文化はその存立の基礎を失いつつあります。このままでは、日本社会の荒廃がますます進み、日本人はその誇りを失い、日本の国、日本の文化すべての存続が危うくなってきます。
 しかし、一方で、和食や日本酒の海外普及は目を見張るようになりました。欧米では和食や日本酒の評価は年々高まりつつありますが、これも裏を返せば日本の自然と先人の知恵の結晶である日本酒や和食を通して日本文化のよいところが認められているからであり、私どもは日本の素晴らしい文化をしっかりと守り育てていかなければなりません。−後略−

何が問題なのか
 前述の「日本酒からの手紙」や「趣意書」をお読みなって皆さんは何が問題なのかとお思いでしょうね。実にいいことが書いてありますものね。
 「日本酒で乾杯」というキャッチフレーズが使われ出してから、今年で何年になるのでしょうか。十数年? あるいはもっと前から? もうその始めも記憶から遠のいてしまったほど昔から使われてきたフレーズなのです。
 その結果は皆さんご存じのように日本酒は加速度的に飲まれなくなってきました。いったいなぜなのでしょうか?
 おそらく最大の原因は「まずい日本酒で乾杯」運動をしてきたからではないかと思います。
 「日本酒からの手紙」にあるように『日本酒は、長い歴史の中でしなやかな感性とすぐれた技術で磨きあげられてきました。』
 しかし、現在日本酒の主流を占めている「普通酒」といわれている日本酒は日本古来の伝統と文化の流れをそのまま汲んでいるものではありません。第二次世界大戦敗戦後の極端な物不足、米不足をカバーするため、国の指導の下、清酒の量を3倍に増やす、いわゆる三倍増醸清酒、俗に言う「三増酒」がつくられました。いわば緊急避難的に清酒に糖類やアルコールを混ぜて量を増やしたのです。戦後の貧しい時期、三増酒は人々に歓迎され、清酒として受け入れられていきました。
 やがて、米不足も解消し、生活も豊かになり、人々の味の嗜好も変わっていきました。かつて皆に愛されていた「甘くてベタベタ」の三増酒も嗜好に合わなくなり、消費が減ってきました。しかしなぜか、もう、三増酒をつくる必要もなくなってきたにもかかわらず、おおかたの清酒メーカーは、甘くてベタベタの三増酒入りの清酒をつくり続けてきました。
 吟醸酒や純米酒などおいしい日本酒が注目されてきた近年においてさえ、戦後緊急避難的につくられたこの三増酒の流れを汲む清酒がなぜか「普通酒」なのです。
 私が「日本酒で乾杯」という言葉を聞いたときに真っ先に危惧するのはまさにこの点なのです。
 かつて、「日本酒で乾杯」キャンペーンが盛んに言われていたとき、いろいろな会場で「日本酒で乾杯」が行なわれました。その乾杯用の酒は信じがたいことに人々の嗜好からすっかりずれてしまった、甘くてベタベタの「普通酒」だったのです。
 始めて日本酒に接した人は、そのまずさのために、乾杯の後はビールやウイスキーの水割りに逃げました。皮肉にも日本酒ファンを増やすために行なわれた「日本酒で乾杯」キャンペーンが日本酒嫌いの人たちを増やす結果になってしまったのです。
 時代は移って今回の「日本酒で乾杯推進会議」では、まさかそんな馬鹿な真似はしないだろうと思いたいのですが、先の「日本酒からの手紙」や「趣意書」の美しい言葉を読む限り、どこにも今の普通酒と言われる酒が戦後生まれの三増酒の流れを汲むもので、日本の長い歴史の中で生まれてきた清酒とは違うということが書かれていないのです。
 それでは「趣意書」に書いてある「日本人の美徳であるべき節度や謙譲」の精神から大きくそれることになるのではないでしょうか。
 おいしい日本酒を心から愛する皆さん、どうぞ、いろいろな集まりで乾杯をするときにはぜひ「おいしい日本酒で乾杯」をお願いします。・・・乾杯!




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