|
||
待酒(まちざけ) 6月21日、山形県は梅雨入りしました。平年より11日も遅い梅雨入りでしたがその後もカラッとした好天が続き、梅雨らしいしっとりと落ち着いた風情になってきたのは7月の声を聞いたあたりからです。 7月7には七夕ですね。その日になると、天体には日頃ほとんど興味のない私ですらどれが彦星でどれが織り姫だろうなどと思わず夜空を見上げてしまいます。 夜空といえば、古来日本人は新月から数えて17日目頃の月を立待月(たちまちづき)、18日目頃の月を居待月(いまちづき)、19日目頃の月を寝待月(ねまちづき)、さらには翌日の月を更待月(ふけまちづき)と呼んでいました。これは満月以降、月の出の時刻がだんだん遅くなるのでこの呼び名がついたんでしょうが、こんな呼び名をつけてまで月の出を待つほどに月を愛していたんでしょうかね。それとも日本人には待ちの文化みたいなものがあったんでしょうか。そう言えば落語にも女郎を買いに行った男が翌日悪友に昨夜はどうだったと聞かれたとき「とんでもねぇ! 三日月女郎だった」というくだりがありましたっけ。その意味は「一晩中待っていたのに、夜明け頃にちょっと顔を出しただけ」というものです。 閑話休題。ところで酒にも待酒というのがあります。今回の富田通信はこの「待酒」について坂倉又吉氏の『酒おもしろ語典』より書いてみましょう。 待酒(まちざけ) ここにいう待酒とは、 ポンポン、「おーい、早く酒を持ってこい」 と、酒のお代わりを待つということではありません。 これは、万葉集を拾い読みしたところ出てきた自給自足時代の酒、また奈良時代朝廷内の酒についての歌のなかにある言葉であります。 その巻四、(五五五)に、 君がため 醸(か)みし待酒 安の野に ひとりや飲まむ 友無しにして というのがあります。これは太宰師大伴卿が太宰府の次官に、民部省の長官に赴任するに当たって贈った歌ですが、その意は 「あなたといっしょに飲もうと思ってせっかくつくった酒だが、あなたが都に赴任してしまったので、安の野(今の福岡県朝倉郡筑前町)で、君という友も無く、ただ一人で飲むことであろうか」 ということです。またその巻十六(三八一〇)に、 味飯(うまいひ)を 水に醸(か)み成(な)し 我が待ちし 代(かひ)はさねなし 直(ただ)にしあらねば というのもあります。これは恋の恨み歌でありまして、昔ある女があって、その夫にいつか別れてから、再開の日を待ちこがれていたところ、夫のほうには、いつの間にやら他妻(あだしつま)ができてしまって自分は来ずに、裏物(つともの、付け届け物)だけを送ってよこしたので、その娘子がこの恨みの歌を作って、「還し酬いき(かえしむくいき)」ということです。そしてその意味は、「あなたのために美味しいお酒をつくってお越しをお待ちしていましたのに、その甲斐は全くありません。あなた本人が来られないのですもの」ということです。 さて、この二つの歌にある、待酒とはお客をもてなすために、つくり用意した酒のことでありまして、これはまだ酒屋のなかった当時民間家庭でつくったり、また朝廷で儀式のとき参殿する人のためにつくった酒のことであります。 今の時代、日本では、自分で酒をつくることは法律で禁じられていますから、酒屋から吟醸酒や純米酒などの美味しい酒を取り寄せて、お客のお越しをお待ち下さるがよかろうと思います。 えぇ〜と、余談になりますが、「醸(か)みし待酒」や「醸(か)み成(な)し」ということで、この酒を口で噛んでつくった、いわゆる「口噛み酒」だったという説がありますが、それは間違いです。「醸(か)み」は噛むという言葉から来たものではなくて「カビ」つまり「麹」から来た言葉です。ですからこの時代の酒は現在の酒と同様に麹でつくられていました。 さてと、七夕の夜には織り姫はどんな待酒をつくって彦星を待つのでしょうか。・・・乾杯! |
|
|
○7月3日、そろそろ堤防でクロダイが釣れるんじゃないかと思って、竿をかついで酒田に行ってきました。結果はまだクロダイとは呼べない25cmの小さなやつが一枚だけ。でも、去年ほとんど釣りに行けなかった私にとっては、一年十ヶ月ぶりのクロダイでした。塩焼きにして皆で突っついて美味しく食べました。さてと、次回からはお刺身サイズのクロダイを狙って釣りに励むことにしましょう。 |
E-mail:tomita@vega.ne.jp ->メール |