第200号(2004.05.10)
Ginjyo
 4月24日の朝、散り始めた桜の季節に雪が積もりました。かつて、桜の季節に雪が舞うということは経験がありますが、さすがに雪が積もった記憶はありません。花見と雪見が同時にできて風流といえば風流なんですが、少しばかり寒い花見酒でした。
 さて、4月11日付の朝日新聞「青鉛筆」コーナーにとても素晴らしい記事が載っていました。今回の富田通信はこの記事をご紹介しながら吟醸酒について書いてみたいと思います。

朝日新聞「青鉛筆」記事 (2004.4.11)
 『化粧品大手マックスファクター(神戸市)が、吟醸酒をイメージした香り「Ginjyo(ギンジョウ)」を開発。SK−Uシリーズのボディー用美容液に採用した。
 すべすべと若々しい杜氏の手に着目し、酵母から抽出した成分を配合した。開発にあたって、香りとして目を付けたのは出羽桜酒造(山形県天童市)の吟醸酒だ。
 酒臭さはまったくない。女心も酔わせたい・・・。上品な華やかさとさわやかさを併せ持つフルーティーな香りに仕上がったという。』

 この記事は出羽桜社長の仲野益美さんから電話での雑談中に教えてもらい、ファックスで送ってもらったものです。
 私はこの記事を読んで感無量でした。かつて若い女性からポン酒と呼ばれ、臭いと味が毛嫌いされた日本酒の中から生まれた吟醸酒が、いまや世界中の女性のあこがれの対象になったんですからね。
 いま、アメリカやヨーロッパで吟醸酒がブームになっています。近い将来、アメリカの辞書にGinjyoという言葉が載るだろうという話も聞きました。
 まるで夢のような話です。いや、やっと世界が吟醸酒の素晴らしさに気づき始めたということでしょう。

吟醸酒のゆくえ
 吟醸酒は明治40年に始まった全国清酒品評会という品質競争の場で、蔵人たちがただひたすらに技術向上、酒質向上を求めて昭和の初めに誕生しました。
 そして、戦中戦後の食糧難や、その後の良い酒でなくともどんな酒でも造れば売れるという時代、そして吟醸酒を否定する一部大手酒蔵の圧力など数々の試練にさらされて消え入りそうになりながらも、良い酒を造りたいという蔵人の熱意と誇りに支えられてかろうじて生き残り、昭和50年前後に吟醸酒の素晴らしさに感動した人々の手によって守り育てられ、広く世の中に広まっていきました。
 いま、吟醸酒という言葉はまったくお酒を飲まない人でも知っているほどにメジャーになりました。また、その味も香りも鑑評会で鍛えた技で実に様々なタイプのものが楽しめるようになりました。まさに百花繚乱といったところです。
 しかしながら、現実に目をやればそう喜んでばかりもいられません。この数年、吟醸酒の出荷量はほぼ横這いかあるいはわずかに減っているのです。
 先の新聞記事にあるように、その香りが女性を魅了し、また海外でも大評判なのに、なぜなのでしょうか。
 原因はいろいろあるでしょうが一番大きな原因は、日本酒業界やわれわれ流通業界が、この期に及んでもまだ新たな市場を作る努力をしていないからではないかと思います。この業界がやっていることは、昔からそして今も、いまある市場のパイの奪い合いなのです。
 いわく「この酒、うちでしかないよ!」「全国で○軒のみの販売、まぼろしの○○入荷!」・・・等々。たしかに一部の狂信的マニアには効き目があるかもしれませんが、吟醸酒を飲んだことがない人にはなんの効果もない宣伝文句が幅を利かせています。
 インターネットが盛んになって、この傾向にさらに拍車が掛かっているような気がします。全国の情報を瞬時に得られる、つまりライバル店の多いインターネットでお客様を集めるには、このような刺激的なキャッチコピーが手っ取り早いのでしょうが・・・。
 以前に読んだ『嗜癖(しへき)する社会』A・W・シェフ著 誠信書房という共依存を扱った本の中に「欠乏モデル」というのがありました。これは、「みんなに行き渡るだけの十分なものがないために、できる限りのものを手に入れなければならない」という人間の心につけられた名前です。人は誰でも「もうこれだけしかないよ」という言葉に弱いのですが、その心の弱みにつけ込んだ商売はいかがなものでしょう。
 たしかに吟醸酒は、その製造において蔵人が全神経を使うため量産はできません。しかしだからといってその希少性だけを売りにしていいはずはありません。
 吟醸酒という言葉は知っていても、まだ吟醸酒を飲んだことがない人がたくさんいるのです。
 吟醸酒を初めて飲んだときの感動を、まだ飲んだことのない人に伝え、ひとりでも多くの吟醸酒ファンを増やしていくという地道な草の根運動こそが王道だと思うのです。
 何度も言うようですが、吟醸酒は品質競争の中で生まれた酒です。蔵人の持てるだけの技術と良い酒を造りたいという思いの丈の詰まった酒です。
 だからこそ吟醸酒に惚れてしまった者は、人の心の弱みに付け入るようなやり方で吟醸酒を広めてはならないと思うのです。そのような行為は吟醸酒を卑しめこそすれ、その価値を高めることにはならないでしょう。
 そして日本人が吟醸酒とそれを造る蔵人たちに誇りを持ったときに初めて、吟醸酒が真の意味で世界に認められる酒になると思います。



……… 編 集 後 記 ………
○200号、・・・ついにここまで来ました。わずか数カ月前までは「200号ったって単なる通過点にすぎない、毎月の1号と変わらないじゃないか」と思っていたんですが、いよいよそれが近づくにつれて周りから「うわ〜すごい。もうじき200号じゃない!」と言われたり、自分でも区切りの200号の記事は何にしようとかの邪心が出てプレッシャーが大きくなってきました。いま、書き終えてホッとしています。
 昭和62年10月に第1号を出してから16年7カ月、よくもまぁ、飽きもせずにここまでやってこれたと思います。
 これもひとえに、皆さまの暖かい励ましのお陰です。ほんとうに有り難うございました。
○200号まで書き上げたし、今年中に何とか101号〜200号までをまとめた『富田通信第2巻』を出したいと思っています。その時は富田通信でお知らせしますので、よろしくお願いします。
○例年だったらもう何度も釣りに行っているのですが、今年は200号のプレッシャーに負けて、まだ1回しか行ってません。去年は6月に足を折ってしまって結局3匹のクロダイしか釣ることができませんでした。
 私がやっているヘチ釣りにはまだ季節は早いのですが、天気も良さそうだし明日にでも海に釣りに行こうっと♪



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