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おしきせ 今年に入ってからの気温の高い状態は4月中も続き、いま新庄はボケ、山吹、藤、サツキ、スズランなどなど、いろんな花々が一斉に咲き誇り、妖しいまでの彩りに包まれています。 そんな中にあって、まだしっくりこない会社の制服を着て少し緊張した面もちでいる新入社員は、どこか頼りなげながらも生命力にあふれ見る者の心を洗ってくれる若葉にも似て、なかなか良いものですね。 ところで、この制服、昔ながらにいえば「おしきせ」ということになるのでしょうか。おしきせを広辞苑で調べると「1.主人から奉公人に季節に応じて着物を与えること。また、その着物。 2.転じて、自分の意志とは関係なく一方的に与えられた事柄」とあります。 ところが、この「おしきせ」、酒にも使われるんですね。この前、坂倉又吉著の「酒おもしろ語典」を読んでいたら、おもしろいことが載っていました。 そこで、今回の富田通信はこのおしきせについて「酒おもしろ語典」より紹介いたしましょう。 おしきせ 「お疲れだったでしょう。今日はオシキセを二本つけてあげましょうね」などと、奥さんにつけてもらう晩酌のことを、関東ではおしきせといいます。 もともとオシキセとは「お仕着せ」で、盆正月などに奉公人に支給する衣服のことなのですが、酒のおしきせとは、いわばごほうびにもらう酒ということになります。 そこでふっと思い浮かぶことは、鵜匠と鵜の関係です。鵜飼の鵜は、鵜匠にあやつられながらせっせと魚をとり、それを鵜匠の前にはき出します。そして漁が終わったとき、はじめてごほうびとして鵜匠から魚を食べさせてもらうわけです。さて、この場合どちらが鵜匠で、どちらが鵜なんでしょう? たしかに晩酌には一日の仕事の疲れをいやすという意味がありますが、それが女房からであろうと主人からであろうと、労働する者が慰労に飲まされる酒ということになれば、おしきせというのも一理はあるわけです。 それに勘ぐってみれば、もともと酒は一人で飲むべきものではないとされていた(昔の日本では、酒は一人で飲むべきものではなかったようです。「白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒は静かに飲むべかりけり 牧水」のような一人で酒を味わったと思われる歌は近年になってからのものよりないようです)ことは、言い換えれば飲みたいと思えば人を誘うということになり、それは主婦たる者の歓迎することではありません。そこでいっそ主婦のなさけのオシキセをつけてやった方がかえって・・・という打算が女の方にあったかなかったかはとにかく、オシキセによって酒の飲み方の伝統に変化を来たしたようです。 つい近年までは、大阪のしにせ等の古風な家では出入の者などに、一杯飲んで行くがいいと言って、台所の端に腰を掛けさせ、年寄りのお出入がお辞儀をしいしい一人で飲んでいるということがありましたが、主家には常にそんなための酒があって、ご新造が家人や出入を手なづける武器? として用い、寒かったろうに一杯引っ掛けて行くがよいなどと、特別に骨を折った者をいたわって出したものです。もちろん、対等の客人にはこんな失礼なふるまいはできないのですが、それでも当時は、独りで一杯酒を傾けられるということは、主人持ちの特権と結構感謝をしていたものだとのことです。 また主人からもらう酒の内で、特に「見参」(ゲンゾウまたはゲンゾという)またはお見参(おげんぞう)というのがあって、これは主従の契りとか、古い奉公人の旧主訪問のとき主人からもらう酒のことなのですが、その飲み方は狂言の中でも下人が一人飲むだけで主人との献酬はありません。 ま、最近は女の人も仕事を持っている人が多数を占めるようになってきたし、鵜匠と鵜の関係もだいぶ解消されてきたんじゃないでしょうか。もっとも、いまだかつて会社の制服など一度も着たことのない私としては、酒は飲みたいときに飲みたいものを飲むのが一番と思っておりますです、はい。・・・乾杯! |
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○4月末、町内の気の合う仲間と連れだって、最上公園にカド焼きに行って来ました。カド焼きといっても家々の門口に火をつけてまわるわけじゃありませんよ。カドとはニシンのことで、新庄では生のニシンをカド、干したニシンのことはニシンと使い分けます。ちなみにカドとはニシンの昔の呼び名で「数の子」はカドの子から転じた言葉です。春になると満開の桜の下でカドを焼いてそれを肴に長くて辛い冬から解放された喜びを味わうのです。 |
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