私たちは酒の「通」でしょうか 篠田次郎
九州沖縄サミットでは沖縄名産の泡盛が供されたそうです。司会役の森さんのふるさとの銘酒「天狗舞」も供されたとか。
そこで森さんは、諸国の首脳と杯を交わす際、その杯の中の酒について一言ウンチクを披露したのでしょうか。泡盛の原料は? その原料の産出国は? どうやってつくられるのか? 西欧の穀類の酒とどう違うのか? 沖縄の風土の中でどのように育てられたのか? 泡盛と天狗舞とでは、原料の産出国が違うことをご存じだったかしら?
世界のトップ外交だけでなく、国際交流には酒はつきものです。それどころか私たちの日常のお付き合いに酒がどれほど役立っているか。また、家庭団らんにも酒を欠かさないお家もあります。
では、私たちは酒については「通」といえるのでしょうか。ある医大の学生に、「日本酒のアルコール度数は?」と聞いたら、なんと半数以上の人が「20度以上」と答え、最も多かったのが「30度」、答えの中で最高だったのが「60度」というものでした。
穀物を醸造してつくる酒がどうしてそんなに高いアルコール度数になるのか、そこから考えてもこの学生たちの答えはおかしいといえます。「いや、彼らは日本酒を飲まない世代だから」という見方もあるかもしれません。
国税庁の発表によると、ワインの消費量は平成11年は前年の29%減ということです。日本人がごぞってワイン通になったようなあの騒ぎは何だったのでしょうか。一過性のブームだったのでしょうか。ワインを愛し、ひたすら専門誌「ヴィノテーク」を主宰してきた有坂芙美子さんは、「的確な情報がないとワインは買いにくい」(朝日新聞6月17日夕刊)といっています。
私は吟醸酒ファンですが、ワインのことを知りたくて、フランスやドイツまで行ってみました。でも、よく考えてみると、私は日本ではワインメーカー、ワイン関係者からワインのことを教えてもらったことがありません。私のワインの知識は、自分でワイナリーに行き、ワインの本を読み、ワインを飲んで体得したものです。
それに気付いたとき、日本酒についても同じことだと知ったのです。私の日本酒、吟醸酒の知識は、酒蔵を訪ね、専門書を読み、吟醸づくりを体験し、一般の人にはまったく知られていない品評会に参加し、すべてこちらから働きかけて身に付けたものでした。
ワインや日本酒ばかりではありません。ビールもウイスキーも焼酎も、こちらから出かけ、働きかけて習ったのです。
つまり日本では、全酒類業界が足並みを揃えたように消費者教育をしていないのです。私たちが与えられるのは、膨大な宣伝情報で、それはもっぱら「お酒を飲むなら、わが銘柄を」というものなのです。
世の中は、「消費者は神様」といっています。メーカーは商品の情報をどんどんディスクロージャーし、その特性を理解してもらい、時には欠点に近いものまで提供し、正しい理解のもとで商品を愛用してもらうように努力しています。それなのに日本の酒類業界は商品特性を消費者に教えてくれません。
その結果はどうなるか。特性を教えないまま商品を流せば、消費者の選択のポイントは価格だけになります。日本の酒類業界をちょっとだけ冷静になって観察してみてください。どの種類の酒も、安い酒へと傾斜しているではありませんか。
それでも消費者は自分は酒について「通」だと思っているのです。なぜかというと、テレビの画面からは四六時中酒のコマーシャルが流れているのを見ているからです。でも、それは正しい情報を伝えているのではないことは読者はもう理解できているでしょう。消費者は良質な情報に導かれてこそ良質な商品へ興味をグレードアップしていくものなのです。
ではなぜ、酒類業界は消費者を正しい情報で導かないのでしょうか。私は酒、とりわけ吟醸酒の大好き人間で、業界がどうなっているかについてはまったく知りませんが、昭和14年から施行された統制経済制度に原因があるような気がします。「お上」が決めた規格の酒類を、お上が決めた量だけ飲ませてやるというのが統制経済下の酒の飲み方でした。飲む方は、ひたすら酔いさえすればいい。品質などは問わないというものでした。
日本で飲まれる酒類は、どんどん安価なものへ滑り落ちていきます。現在、日本で飲まれているアルコールは何から採れたものかご存じですか。酒は米から、ビールは麦から、ウイスキーも麦から、ワインはぶどうからですが、日本人が飲んでいるアルコールの原料のトップはこのいずれでもありません。世界で最低価格の含糖原料から採ったものなのです。それを精製するのは国内ではありません。
このアルコールは、産地では自動車を動かす燃料に使っているという話を聞きました。つまりガソリンに匹敵する価格のものです。これを飲料にしているのは日本だけじゃないかと思っているのですが、私には世界の様子までは調べられませんのでわかりません。
このような情報封鎖の環境だと、マニア向けの怪情報が飛び交います。数量のない商品が突然人気になって、青天井価格になります。メーカーが人気に溺れて酒を増産している内に、こんどは在庫の山という悲劇へと舞台は変わります。
一般の消費者は、「飲むならこの銘柄」という我田引水型のテレビコマーシャルと、「この酒はディスカウンターでウン万円の値札が付いている」という根拠もない情報に目をふさがれ振り回されるだけ。
自分の食卓に合った酒を選ぶための情報がまったくないから、楽しい食卓の演出などできっこないということになります。食文化、酒文化という言葉が恥ずかしがって表にでてこれません。
豊かな情報の提供はだれが担うものなのでしょうか。情報がふんだんに提供され、消費者が学習しながら商品のもつアイデンテティーを理解し、自分の好みを満足させる選択があってこそ文化が向上し、品質が上がり、それを提供するメーカーも潤うというものだと思うのですが。