第157号(2000.10.10)
居酒屋
 朝、目覚めると屋根から落ちる雨垂れの音。昨日の天気予報は晴れのはずなのにと思って窓を開けると、一面の霧。・・・最近、こんな朝が多くなりました。スズランの小さな丸い実が枯れた葉の合間から鈴なりのオレンジ色をのぞかせています。ストーブに火が入るのももうすぐです。
 寒さが増してくると、いよいよもって日本酒が美味しくなりますね。ちょっと前までは、酒造組合かどっかが10月1日は「日本酒の日」と気勢を上げていたんですが、近頃耳にしなくなったのがちょっと気にはなりますが・・・。
 まあ、酒造組合の話は置いといて、日の暮れるのが早くなったせいか、はたまた寒さのせいか、なんだか妙に赤提灯が恋しくなりますね。そこで今回の富田通信は居酒屋について、坂倉又吉氏の「酒おもしろ語典」より拾ってみました。

居酒屋
 日本では古来、酒は一人で飲むべきものではなかったようです。そういわれてみれば、中国の詩の中には古くから独酌の趣を詠んだのがありますが、日本では、
  しら玉の歯にしみとほる秋の夜の酒は静かに飲むべかりけり  牧水
  何事か今我つぶやけりかく思ひ目をうちつぶり酔ひを味ふ   啄木
のような一人で酒を味わったと思われる歌は近年になってからのものよりないようです。
 そういえば、今でも日本酒というものはどうも飲む相手がないと気分が出ないという人が少なくありません。そして一人で飲むにしても酌をしてくれるものを横にはべらせて、また時にはそれにも一杯飲ませないとすまないという人もあります。それは手酌でこっそりと飲むなどとは、みっともないように思われていたからです。ですから昔は屋台店の暖簾(のれん)を一人でくぐって、酒を一杯ぐいと引っ掛けるなどとは人柄を重んずる者にはちょっとできぬことでした。
 江戸時代では酒屋でも特に「居酒致し候」とある店は決まっていて、そこへ立ち寄る者は、まず酒盛りの席などに連なることはもちろん、家に帰っても酒の相手をしてくれる人もありそうもない、例えば掛り人とか、奉公人とか出稼ぎの職人、人足とか、後には浪人等、というような人々が酒を買っては帰らずにそこに居て飲んでしまうから居酒と言ったのですが、その店がすなわち「居酒屋」であります。
 居酒のはじまりは、おそらく造り酒屋の店先で塩などをなめながら桝(ます)の角からキューッと一杯ひっかけるというようなことからでしょうが、それが次第に、
  居酒屋や愛相に植えし唐がらし  一茶
と酒の肴にも愛想ができ、ついには居酒専門店が生まれ、今日の小料理屋と区別ができないものになっていったのでしょう。
 当時江戸では、たびたびの火災などで土建事業が続き、多くの人足や職人が各地から集まったことから、自然に居酒屋の必要性が増してきたのも動機となって後にその数が増えてきたことは想像できます。
 また多くの出稼ぎ漁夫の集まった九十九里地方にも居酒屋があったらしく、文献によれば正徳二年(1712)に一軒できたのがはじまりで、だんだんに増えて天保年間(1830〜1843)には34軒を数えましたが、天保改革の取り締まりで、居酒屋はほとんど菓子屋名義に変わったとありますが、実際には幕末に近づくにつれて居酒屋はどの地でも激増していったようであります。

バー
 居酒屋について書いたついでに、あちらの居酒屋、つまりバーについてもちょっと書いてみましょう。
 棒高跳びや走り高跳びで何m何cmのバーの高さをクリアーしたなんて場面を先ほどのシドニーオリンピックで見た人もおられるかと思いますが、バーとは横木のことです。
 では、なぜ酒を飲む場所を横木、つまりバーといったのでしょうか。バーという言葉は16世紀にイギリスで生まれました。その頃、酒や食べ物を出すカウンターには止まり木がついていました。その止まり木のことから、酒類を出すカウンターとその内側の場所のことをバーというようになり、やがてそれのある部屋や、店をバーと呼ぶようになったということです。
 また、アメリカでは禁酒法中に酒場と同じ造り方の店で非アルコール飲料を飲ませたので、劇場などでソフト・ドリンクスや菓子類を売るカウンターをもバーと呼ぶようになりました。
 日本にバーが現われたのは、大正末期で、1930年頃の頽廃的な時代に栄え、のち一時減少しましたが、戦後、また盛んになりました。
 なにはともあれ、調子に乗って飲みすぎ、勘定のバーの高さをクリアーできないなんてことのないよう、お互い気をつけましょう。・・・乾杯!



商品案内 
出羽桜「桜花吟醸酒 雄町(本生)」
 今日の出羽桜を築き上げた名酒、あの桜花吟醸酒に新しい仲間が生まれました。原料に100年の歴史を持つ酒造好適米「雄町」を100%使った「桜花吟醸酒 雄町」です。
 その味わいは、豊かにしてきめ細やかです。ぜひ、お試し下さい。美味しいですよ!
 ただし、来年以降はどうなるかは分かりませんが、今年度出荷はごく少量ですので、品切れのさいはご容赦下さい。
  内容:日本酒度 +7  酸度 1.4  アルコール度 15.8
  原料米 雄町100%  精米歩合 50%
                        1.8L  2700円(税別)



……… 編 集 後 記 ………
◯先月号の富田通信で書いた金山町の「田楽・山楽」で「リリー&ヨージ」の素敵なコンサートを聴くことができました。リリーさんの「私は泣いています」という曲はあまりにも有名ですが、相変わらずのハスキーな歌声にすっかり魅了させられました。コンサート終了後、私の酒の話の講演を挟んで純米吟醸DEWA33を飲みながらのパーティがあったんですが、何とその席にリリーさんとヨージさんも参加下さって、1時間半もの間、お二人とお話しができました。リリーさんの「私は泣いています」は私が大学生の時にはやった歌なので、ずいぶんと年上の人かと思っていたのですが、何と私と同世代だったんですよ。二人とも吟醸酒が大好きとあって、酒の話やら歌の話に花が咲きました。この夜のDEWA33は格別の味がしましたよ。
◯私がクロダイのヘチ釣りを始めて三年。その間、この釣りの師匠といえば、本やビデオだったのですが、先日、その本やビデオの著者の山下正明さんとお会いし釣りの話を直接聞くことができました。山下さんは昭和50年からこの釣りを始められたんだそうですが、釣りやクロダイに対する洞察が鋭く、話を聞いているうちに、まさに目からうろこが落ちるようでした。ついつい話に夢中になり、気がついたときには5時間も経っていました。
 このごろは、釣りに行っても釣果無しということは、ほとんどなくなったのですが、お話しを伺ってますます釣れそうな気がしてきました。さてと、富田通信が終わったらクロダイに会いに行こう! 乾杯!



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