「米だけの酒」という酒はどんな酒?
表示基準ですら、このようにごまかされる 篠田 次郎
ちかごろ「米だけの酒」という表示、そして宣伝が目立つ。だれもが「純米酒」のことだと思うだろうが、あれは法律で定められた「純米酒」ではない「純米酒」なのだ。こういったら、人々は益々混乱する。だが、私のいう前条の説明は正しいのだ。
「清酒の製造方法と自主基準」というのがある。昭和50年に酒造組合が決めた。日本の酒類は、戦中戦後の食料枯渇時代に伝統も歴史も定義も良心もズタズタになった。それでは消費者が混乱するということで、「自主基準」を作った。「純米酒」とは、「米・米麹・水」だけで造られるものとした。詳しくいえば、この規定にも抜け穴があったのだが・・・。
それが平成2年に「酒税法付則」となり、原料である米は「精米歩合70%以下」とより厳しくなった。これで品質はグッとよくなったのは皆さんご承知の通り。
だが、「米だけの酒」は違う。どこが違うか。「精米歩合70%以上」なのである。つまり、常識的に見て「純米酒」より劣悪といっては失礼か、グレードが低いのだ。
さてお立ち会い。「米だけの酒」が「純米酒」よりグレードが低いことを大衆はご存じか? 香具師の口上ではないが、おもしろテレビで「米だけの酒」を連呼すれば、「純米酒」がナニモノかすら知らぬ大衆は、テレビ魔術で「米だけの酒」が「純米酒」のことと思い、あるいはもっとグレードの高いものと誤認する可能性の方が高い。
これは宣伝媒体の権威(これを信用する大衆が多いことはご存じの通り)を利用したペテンである。
ペテンであるなら、その方の規定はないのか。前にあげた自主規制や酒税法で網をかぶせたはずだが、抜け穴くぐりができなければ、あれほど大手を振って厚顔にもペテンはやるまいし、網に引っかかっていれば組合や当局がなんとかしているはずだ。話を「抜け穴をくぐれた」として進める。
抜け穴の一つに「米だけの酒」の宣伝文句で「精米歩合73%」というのがあるという。つまり法律でいう「純米酒」には触れていないと堂々と発言している。法律ではこれをなんというか知らないが社会では「盗人猛々しい」という。
法律にも盲点があり、それをくぐり抜けたものは、社会が罰してこそ自浄作用というものだが、われわれがそれをいえば、「法に反していないものを、余計なことをいって、営業妨害で訴えるぞ」といわれかねない。確信犯はそのぐらいの覚悟をしているのだろう。
いい酒を求める者の一人としてこのいきさつを記した。
会員(幻の日本酒を飲む会々員)諸氏はとうにこれらを理解しているだろうが、「それでもあんまりだ」と思うだろう。だが、われわれはこれ以上のことはいえない。この文を当事者に訴えても、「おっしゃる通りです。われわれの酒は純米酒ではないとも広告(精米歩合70%以上)しています。それを逆誤認して余計なことをいうな!」と恫喝されるだろう。
では、だれがやるのか。ここでこそ業界の自浄作用を期待するのだが、なにせ確信犯は「大手」である。組合費の大口拠出者だ。組合は顔を見ただけですくんでしまう。期待できるのは「純米酒こそ日本酒だ」と標榜してきた蔵である。彼らが「われわれのいう『純米酒』と『米だけの酒』とはカクカクシカジカ違うのだ」という意見をいうことは、何ら差し支えのないことだ。「米だけの酒」の宣伝費の百分の一、千分の一でもいい。日本酒業界に「良心あり」という心意気を見せてもらいたい。
・・・いやはやなんとも、びっくりですね。かつては吟醸酒を毛嫌いして力で品評会を潰し、数年前の米不足の折りには市場に溢れかえった外米で密かに酒を造り、「ユウマイ」とか「バイショウ」とかどううまく造ってみても味が薄っぺらにしかならない酒を淡麗辛口と言い換えて堂々とテレビコマーシャル。そしてこんどは「米だけの酒」ですか! まったく「大手」の厚顔無恥ぶりには呆れかえって言葉も出ません。