地酒文化と地・酒文化
10月に入り、朝の最低気温が10度前後とめっきり涼しくなりました。ついこの前までTシャツを着ていたのに、今は長袖の上にジャンパーを着ています。裏庭のザクロの実が赤く色づき、モミジの先端の葉も赤く染まり始めました。季節の変わりは本当に早いですね。
ところで今月の初め、東京の篠田次郎さん(吟醸酒研究機構世話人頭、吟醸酒への招待・中公新書等著書多数)から電話がありました。相変わらずお元気そうなお声で一時間ばかりいろんなことをお教えくださいましたが、その中で「地酒文化」と「地・酒文化」という大変おもしろいお話を伺いました。
今回の富田通信はそのときのお話を私なりに解釈して皆さんにご紹介してみたいと思います。
地酒文化と地・酒文化
電話の中で篠田さんは「いいかぁ、よく聞け。これから難しい話をするからな」と前置きしてから「この25年間は地酒文化の時代だったが、これからは地・酒文化の時代だ」と話し始めました。
頭の回転の鈍い私はなにを言わんとしているのかピンとこず、「地・酒文化って、その土地の地酒の文化ですか?」って聞いたんですよ。
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そしたら篠田さんは「いや、地・酒文化っていうのは、東京だったら東京の、新庄だったら新庄の、つまりその土地の酒文化だ」というんです。
篠田さんの話を要約すると「昭和50年頃まで日本酒は右肩上がりに生産量を伸ばしてきたがその頃をピークに生産量は減少に転じた。それを救ったのが吟醸酒に代表される地酒である。吟醸酒のおいしさにすっかり魅了されたごく一部の酒屋、料飲店、マニアたちは身銭を切ってまで吟醸酒の宣伝、発掘につとめ、その結果地酒文化が花開いた。
いまや、酒の小売店の店頭には全国各地の吟醸酒が並び、各種試飲会では各地の有名吟醸酒を飲むことができる。それはそれで大変喜ばしいことなのかもしれないが、ともすると吟醸酒を集めさえすれば、商売や試飲会が成功するという風潮が蔓延してしまった。
しかし、こうした吟醸酒の持っている力にだけ頼ったやり方は、もうそろそろ限界にきている。これからは、その土地土地で酒の文化を深めていかなければならない。そうすることによって、吟醸酒をより深く味わうことができる。そのためには、各地で酒学校を立ち上げなければならない。お前はまだやってないようだけどな」という話でした。
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