人性(じんせい)酒を嗜(たしな)む 入学式も終わったというのに、新庄はまだ雪がちらついています。外では県議会議員候補の選挙カーが相変わらず連呼の声を響かせています。それでも、田んぼの雪はすっかり解け、すずめのさえずりも日毎に大きくなってきました。もう、春なんですね。今月末頃には桜も満開になることでしょう。
ところで、3月4月といえば、職場の歓送迎会やら花見やらと飲み会が続きますよね。この、日本人の宴会好きはどこから来ているのでしょうか。
今回の富田通信はこのことについて、日本酒センターの「日本酒歳時記」より書いてみましょう。 |
そのひとつは、葬制について述べているところです。
『食飲には辺豆(へんとう:竹・木で作った高坏)を用い、手食す。・・・始め死するや、喪に停(とど)むること十余日、時に当たりて肉を食らわず、喪主哭泣(こっきゅう)し、他人就(つ)きて歌舞飲酒す。』 東夷の他の国々、例えば夫余(ふよ)、高句麗、韓などでも歌舞飲酒する様子が記されていますが、それらは天をまつる祭礼の時とか、種蒔きを終えた時とか、いわば農耕の儀式に関連してお祝いするものです。葬式の際に「他人が喪に参じ、歌い舞い、酒を飲む」と特に書かれているのは倭国だけです。現在の通夜や檀払いの後の酒席の源流ともいえるのでしょうか。 さらに特色があるのは、会合の様子を記した箇所です。 『・・・其の会同(かいどう)、坐起(ざき)するに父子、男女別なく、人性酒を嗜む。』 倭人伝の中でも極めて感動的な一節です。寄り合いの時には、親子や男女のわけへだてもなく、自由に坐り、そんな時には決まって酒になる、というのです。他の国の場合、集会の時にも酒を飲むというようなことは記されていません。だから倭人は性来酒を好む、と見えたのでしょうか。 カラオケで歌い、隠し芸を披露するという現代の倭国の飲酒習俗も、遠く倭人から連綿と伝え続けられたのかもしれません。 それにしても、坐起するに父子、男女の別なく、という闊達さは、いつの間にか忘れてしまったのでしょうか。 |
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いや〜、日本人の宴会好きは何も今に始まったことじゃなく、邪馬台国の遙か昔からあったんですねぇ。ついでに酒飲みのしぐさについての文章もありましたので、ご紹介します。 “しぐさ”の文化ということもよく言われます。“差しつ差されつ”のしぐさもそうですが、日本酒に関係する動作、しぐさには、日本酒ならではのなんとも言えぬ味があります。
例えば、飲み屋のおかみなどが、燗徳利の底に指を当てて燗具合を確かめるしぐさ、つき過ぎた燗を冷ますために、徳利の肌に水をかけ廻す手の動き、その酒を受けて静かに唇に運ぶ客の所作などには、日本酒の世界を形づくる“しぐさ”の美しさがあります。 |
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