裏庭では柿やザクロの実が色づき、葉がすっかり枯れ果ててしまったスズランは、地面からまっすぐに突っ立った細い茎の先にまるで街路灯のように赤い実をみのらせています。 早いもので富田通信を書き始めてからもう11年も経ってしまいました。その間いろんな人との出会いがあり、また別れがありました。ずいぶんと長かったような、短かったような・・・。 さてと、感傷にふけるのはこれくらいにして、本題に入りましょう。皆さんは糟湯酒というものを知っていますか。山上憶良(やまのうえのおくら)の貧窮問答歌(ひんきゅうもんどうか)に出てくるお酒です。 今回の富田通信は糟湯酒と貧窮問答歌について書いてみましょう。 万葉集の中で異彩を放つ貧窮問答歌とはどんな歌なんでしょう。それでは糟湯酒の出てくる出だしの部分をご紹介します。 |
風雑(まじ)へ 雨降る夜の 雨雑へ 雪降る夜は 術(すべ)もなく 寒くしあれば 堅塩(かたしほ)を 取りつづしろひ 糟湯酒 うち啜(すす)ろひて 咳(しはぶ)かひ 鼻びしびしに しかとあらぬ 鬚(ひげ)かき撫でて 我(あれ)を除(お)きて 人は在らじと 誇ろへど 寒くしあれば 麻衾(あさぶすま) 引き被(かがふ)り 布肩衣(ぬのかたぎぬ) 有りのことごと 服襲(きそ)へども 寒き夜すらを 我よりも 貧しき人の 父母は 飢ゑ寒(こご)ゆらむ 妻子(めこ)どもは 吟(によ)び泣くらむ 此の時は 如何(いか)にしつつか 汝(な)が世は渡る 天地は 広しといへど 吾が為は 狭くやなりぬる 日月は 明しといへど 吾が為は 照りや給はぬ 人皆か 吾のみや然る わくらばに 人とはあるを 人並に 吾も作るを ───── 山上憶良は当時としてはきわめてまれな人間の内面に深く目を向けた歌人であったようです。その証拠に彼の作品は、自然の情景を歌い上げた叙景歌のようなものはほとんどなくて、もっぱら人間、人生から取材して、家族への肉親愛や、庶民の日常生活を歌い、特に人間批評、人生評論から、社会問題、たとえば、社会の貧富の差の不当なことまで鋭くふれています。 | |
では、万葉集中ただ一度しか出てこない「糟湯酒」とはどんな酒だったのでしょうか。あくまで推測の域を出ないのですが、おそらく濁酒を濾した粕にお湯を入れた酒の代用物で、貧しくて本物の酒が飲めない人の飲み物だったのでしょう。 この歌の大意は貧者が窮者に 「寒風が吹きすさびみぞれの降りしきる冬の夜はどうすることもできず寒いので、粗末な塩を少しずつかじり、粕湯酒を飲みながら、咳き込み鼻をすすり、しかとはない髭を撫でて、自分以外に人はないと誇ってみるけれど、麻の夜具や布肩衣くらいではいくらかぶってみても寒さは身にこたえるばかり。こんなとき自分より貧しい人やその父母は腹がすいてこごえているだろうし、妻子は力ない声で泣いているだろうが、果たしてあんた方はどんなふうに暮らしているのだね。」 |
まあ、いまの世の中、常に大吟醸をおごられている政府高官や大政治家にはとてもこの糟湯酒の吟味は分からないでしょうけど・・・。乾杯!
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