この歌はなにか気の沈むことのあった一族の集いで、「人の世に栄枯盛衰はつきもの。こんな時こそ楽しく飲んで下さいな。いきおいよく芽吹いている草木でさえ、秋には散っていき、また春が来て・・・」と、励まし、気を引き立たせているといったところでしょう。 |
確かに、生者必滅、会者定離といった無常観、万象流転の嘆きとともに“だからこそ、こうしてお酒を飲む時間を大切にしたい。心の通い合う仲間と共にある瞬間が貴重なのではありませんか”という痛切な訴えが聞こえてくるようにも思えます。まさに一期一会の思想につながるものがあり、万葉人の飲みざまがそのまま生きざまであることを表現した、万葉集中の秀作といえましょう。 万葉集よりもおよそ一世紀のち、880年代にその原型が作られたとされている「伊勢物語」では、当時の伊達者(だてしゃ)在原業平を主人公とする歌物語の中に、次のようなくだりがあります。 “むかし、左大臣(ひだりのおおいまうちぎみ)いまぞかり。賀茂川の辺、六条のわたりに、家をいとおもしろく造りて住みたまいけり。十月の晦日(つごもり)がた、菊の花うつろへるさかり、紅葉の千種(ちぐさ)に見ゆる折、親王たちおはしまさせて、夜ひと夜酒飲しあそびて、夜あけもて行くほどに、この殿のおもしろきを褒むる歌よむ・・・” (伊勢物語・80段) |
|||
|
俳聖芭蕉でさえ、あまり高級とはいえないにごり酒風の酒をのみ、白くはない米を炊いて食べつつ、花に浮かれた憂き世をはすかいに眺め、我が身の不運をかこっていた、ということでしょうか。 もっともこの白い酒、あるいは当時はやりの「うすにごりの酒」かもしれません。室町の頃刊行された書物に「先さけめしかし はやりて候 うすにごりも候」という口上とともに酒を売る女の図が載っていますが、グルメだった芭蕉のこと、はやりのうすにごり酒をのみ、滋養のある玄米を食べつつ、案外浮き世を謳歌していた、と推察することもできないことはありません。 この「うすにごりの酒」を現代で言えば、「あらばしり」とか「しぼりたて」とか言われるものの一種で、ろ過したばかりの酒を指すのでしょうか。とすれば、その新鮮な味わいは当時でもなかなかトレンディな飲み物だったに違いありません。 最後の浮世絵師ともいわれる伊東晴雨(1882年〜1961年)は、こんな花見を好んだそうです。 |
人々が飲み歌う頭上には桜花が爛漫と咲き誇っています。その花をただ見て歩きます。おぼろ月でも出ていれば申し分ありません。そして歌舞飲酒のざわめきを遠く離れた小さな居酒屋に入ります。酒を注文すると、程よい燗の酒が運ばれてきます。目を閉じると、まぶたの裏に今見てきた万朶の桜が繚乱と広がります。静かに酒を口に含みます。はらりと花びらが散ったりして、酒が心にしみます。なんとも幽玄たる花見酒です。
同じ遊び飲みでも、どこかのノーパンシャブシャブとは雲泥の違いですね!
| |||||||
|
| |||||||||