第124号(98.1.10)

吟醸酒と本醸酒・純米酒はどうちがうの

 あけまして、おめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
 地球温暖化のためか、はたまたエルニーニョ現象のためか去年の12月は、二度ほど15センチくらいの積雪があっただけの暖かな月で、特に下旬は田んぼにすらまったく雪のないという、ほんとんど記憶にない年でした。

 冬でも雪の中、スパイク付のタイヤに履き替えてバイクで配達している私としては、スキー愛好家が嘆こうが長野冬季オリンピック関係者が嘆こうが、このまま春まで雪が降らなければいいのにと、心中密かに思っていたのですが、世の中そんなに甘かぁない・・・1月6日と7日の猛吹雪で、あっという間にいつもの新庄にもどってしましました。

 でも変なもので、雪のない生活にあこがれながらも、雪のない生活は何となく居心地が悪くて、こうして白一色に包まれると落ち着くんですよねぇ・・・困ったものです。
 ところで、店を訪ねてくれたお客さんによく「吟醸酒と本醸酒・純米酒はどう違うの?」と聞かれます。そこで今回は、この疑問に答えてみましよう。

本醸酒・純米酒とはどういう酒か


 吟醸酒と本醸酒・純米酒の違いについて答える前に、本醸酒と純米酒について書きたいと思います。

 平成2年4月1日から施行された「清酒の製法品質基準」によると、本醸酒とは、「3等米以上の品質でかつ70%以下に精米した白米と、これと同等の白米を使用した米麹および水と、醸造用アルコールを添加して造った酒。ただし、そのアルコール(アルコール分95%)の限界重量は、使用白米の10%以下とする。できた酒は、香味、色沢が良好なものとする。」となっています。

 どうも役所言葉は難解ですが、平たくいえば純米酒は、良い米を3割以上削った白米と米こうじと水だけを原料として造った酒で、味には強い個性があります。本醸酒は、まず純米酒を造り、搾る直前に最低限の醸造アルコールを加えて造った酒で、軽快な味わいです。

 ところで、誤解にないようにいっておきたいのですが、前述の3等米という格付けは醸造用玄米の格付けです。皆さんは、「ずいぶんと悪い米を使っているんだ」と思われたでしょうが、醸造用玄米の格付けは、私たちが食べている米の格付けよりもはるかに厳しくて、醸造用玄米の3等米は、食用米の1等米以上です。
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吟醸酒とは

 本醸酒と純米酒について、お分かり頂けましたでしょうか?では次に吟醸酒について書いてみたいと思います。

 吟醸酒とは、「精米歩合60パーセント以下(玄米を4割以上削る)の白米と米こうじ及び水、またはこれらと醸造アルコールを原料として吟味して造った酒で、固有の香味及び色沢が良好なもの」とあります。
 つまり、吟醸酒は精米歩合60パーセント以下の吟味して造った本醸造か純米酒で、しかも固有の良好な香味と色沢を持ったものとなります。
 ちょっとややこしいですね。・・・こいう考え方がいいかもしれません。日本酒には大きく分けて、普通酒(糖類の入ったものや、規程量以上の醸造アルコールが入ったもの、あるいは精米歩合が71パーセント以上のものなど)と本醸造と純米酒の三つがあって、本醸造と純米酒の造りの中で特に蔵人が吟味して造った酒が吟醸酒なんだと・・・。

 なにやら、収拾がつかなくなってしまいましたが、蔵人たちが、精魂込めて造りだした素晴しい吟醸酒は、飲み手の心をつかみ、そして揺さぶります。
 逆に言えば、それがある酒が、吟醸酒なのでしょう。
 まとめに代えて、篠田次郎さんの『吟醸酒への招待』中公新書の中から素晴しい一文を皆さんにご紹介します。それでは、乾杯!

『吟醸酒への招待』篠田次郎著
            中公新書

 
吟醸の定義といえば、酒造組合の「原料と製造方法の自主基準」や、酒税法関係の国税庁告示の「特定名称酒の定義」がでてくる。これおからは、品評会が生み出した品質−それが吟醸酒であるが−をつくりだす方法の概要をまとめたものでしかない。
 精米歩合60パーセント以下にして、純米づくりか本醸造仕込みをしたものが、必ずしも吟醸だとは思えない。吟醸香もなければ淡麗辛口でないものもある。

 それでは、吟醸香と淡麗辛口が吟醸の必須条件かといえば、こちらも必ずしもそうといいきれない。吟醸酒がわれわれの前に現われたとき、香しい吟醸香に感嘆の声をあげた。淡麗辛口の喉ごしを満喫した。そのうちに、吟醸酒は変貌を見せはじめる。

 くだもののような香りもさまざまな種類に増えてくる。リンゴのような、ナシのような、洋なしのような、モモのような、さまざまな柑橘類のような・・。
 

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 香りはそれに止まらなかった。花の香りを思わせるもの。檜の木、杉の木、ブナの森を思わせるもの。

植物だけではない。金属のにおいも感じさせた。黒光りする日本刀を思わせるもの。深い紫色を思わせる香り。軽快なくだものに似た香りが吟醸香であったころ、日本刀の黒光りを思わせるこの香りは吟醸香といっただろうか。

 味も淡麗辛口だけではなかった。ほの甘い酒があった。甘さではないが甘く感じるものがあった。甘い、はっきりとおいしく甘い吟醸もあった。ある杜氏は「熟した柿のうまさ」と表現した。かっては酒のいやなにおいを熟柿臭といったのに。だが吟醸酒の甘さにはあのベタベタ感はない。

 おいしいご飯の味がある。口の中にふんわり広がってさっと消える旨さがある。舌を刺激する酸味もある。口を洗う酸味もある。太い味もある。舌の上に重量を感じさせる味もあった。そういうものは淡麗辛口が吟醸だといわれたときは吟醸酒といったであろうか。

 吟醸のつくり手はなぜこのように多様な品質をわれわれにぶつけてくるのだろうか。

 この広がりの中で、私は越及寒梅の前社長・石本省吾氏の言葉を思い出す。彼は亡くなる半年前、私にこういった。
 「吟醸というのは、その年の造りで、いちばん心を込めてつくった酒をいうのだよ」と。
 
 
酒づくりにたずさわるもの、いや、酒だけではない、物づくりにたずさわるものは、いいものをつくろうと心を込めてつくっている。その中で、「いちばん心を込めた」とは、どんな思いだったのか。

 それは飲み手に「うまいっ」といわせるようとする思いである。吟醸づくりの杜氏たちがつくり出したさまざまな品質は、飲み手に送ったメーッセージだったのである。

 品評会出品の吟醸酒は、審査員へのメッセージだった。吟醸酒がファンに賞味されるようになって、今度はファンにメッセージを送ってきた。こちらは金賞入賞という限定目的がないからメッセージの表現が奔放だ。ファンはそのメッセージに込められたつくり手の心を楽しんでいるのである。

****編集後記****
 ついにインターネットを始めました。今年もよろしくお願いします。

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