第115(97.04.10)


山形酒への思い

 今年は冬が暖かかったせいか、雪があっという間に消えました。田圃も見渡す限り土を出し、冬の名残といえば、家の北側に忘れられたようにわずかに残っている雪だけになりました。新庄の桜の開花予想は今月半ば頃だそうです。
 先日、山形県庁の記者クラブに勤めている知り合いの方が『いま、山形から・・・』という、県の広報誌を送ってくださいました。その中に、幻の日本酒を飲む会会長の篠田次郎さんのとっても素敵な文章が載っていました。
 今回の富田通信は篠田さんの文を皆さんにご紹介いたします。

山形酒への思い 篠田次郎

 アマチュアがグループをつくって22年、270回も吟醸酒を飲む例会を続けている。かつてはまずかった日本酒の中から「吟醸酒」を掘り起こしてブームに育てたのは、実はわれわれアマチュアたちなのであった。

 吟醸酒が商品となって、つくり手は飲み手の顔色をうかがいながら酒づくりの技を磨かねばならなくなった。それまでの酒は、ひたすら値段を安くして流通に媚び、味は無難にまとめることに注力した。それらは、値段がモノをいう世界を出られなかった。飲み手は、膨大な宣伝の力でねじふせればよかった。


 
だが、飲み手が吟醸酒の品質によって目を覚ますと、値段を追う酒は廉売市場へ落ちるだけであった。安い酒を求めるファンもいるから、それはそれなりの功績でもあるが、その場からは飲み手を感動させる品質は生まれては来ない。

 吟醸酒を飲み続け、回を重ね、全国さまざまな吟醸酒を飲み干してきた私から見ると、山形県の吟醸酒はすばらしいレベルである。吟醸酒の世界で、先行しで名を上げた県をまもなく追い抜くのではないかと思っている。山形県の吟醸酒がどうしでそれほどいいのか、あるいはよくなったのか。それは山形県の酒蔵が吟醸酒の特性を理解したからだと思われる。その特性とは、飲み手とのコミュニケーションである。

 吟醸酒ファンが、いま、どんな品質を求めているかを知ること。それを品質の具現化して飲み手にぶっつけてくる。この数年の山形吟醸酒を見ると、酒の品質はもとより、びん、レッテル、パッケージも含めて、「どうだっ」と真正面から豪球を投げられた感じがする。それまでの吟醸酒には、「品評会で好成績をいただきましたこの酒、いかがですか」と斜めに構えたものが多かった。飲み手は品評会の審査員ではない。自分のベロに合う吟醸酒が飲みたいのだ。

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 山形県の吟醸酒は品評会でも好成績である。そして飲み手をしっかり意識して酒をつくっている。技術の高さの上に、市場原理を踏まえた現代の意識も高い。既存の評判をよりどころにしている先行の他県酒を追い抜くのは間近だといったポイントはここにある。

 その山形県酒に注文がある。酒は吟醸酒だけではない。吟醸酒ほどの値段ではない、それで山形県で味わっておいしい酒をつくってもらいたいのだ。

 吟醸酒は、地酒が生み出した全国どこでも通用する酒である。それに対して、その土地でなければ通用しない酒をつくってもらいたい。これを私は「地の酒」と呼んでいる。山形の風土、山形の料理、山形の人情の中で飲んだらこよなくおいしい酒。もしかしたら他の土地に持ち出したら味が落ちるかもしれない、そんな酒をつくってもらいたい。この分野の品質ができあがれば、山形の自然と人情がいっそう輝くことになるだろう。

  ※篠田次郎さんのご紹介
略歴:昭和8年宮城県仙台市生まれ
昭和31年福島大学経済学部卒業
昭和40年篠田安藤建築設計事務所・ジェイナスコンサルタンツ開設

技術士 一級建築士 中小企業診断士 日本吟醸酒協会初代会長
幻の日本酒を飲む会主宰 吟醸酒研究機構世話人頭全国の酒蔵関係の設計多数
「石川弥八郎賞」受賞(平成5年度・日本醸造協会)著書に『日本の酒づくり』『清酒工場設計の考え方』等、多数


 私が初めて篠田さんと知り合いになったのは、平成2年の2月、篠田さんから頂いた一本の電話からでした。「もしもし、東京の篠田ですが」「???」「・・・東京の篠田ですよ」「あの~、もしかして篠田さんて、篠田次郎さんですか?」「そうよ」「!!!」「新庄みたいな、ど田舎で、吟醸、吟醸と熱を上げてる奴がいるのが嬉しくて、電話したのよ」・・・感激でした。吟醸酒が売れない時代が長かった分、感激も大きかったのです。これからも、あの時の感激を忘れず生きていきたいと思っています・・・乾杯!

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お知らせ
  名酒発掘に命を賭けた男

『甲州屋 光久物語』 高瀬斉著 フルネット刊
 日本経済が大きく波動した昭和40年代半ばから50年代。そんな時代を疾風のごとく駆け抜けて行った一人の男がいる。「地酒」という重い荷物を背負って。

 吟醸酒どころか「地酒」という言葉さえまだ消費者にはピンとこない時代に、ナショナルブランドのお酒を排し、地方の名も無い銘酒を発掘し、飲んで旨いお酒を消費者に提供しようと奮闘努力した男。

 店の名は甲州屋、男の名を兒玉光久という。

人は彼を「地酒の先駆者」と呼ぶ。

 その光久さんの地酒に懸けた夢を、漫画家の高瀬斉さんがまとめあげました。私も読みましたが、光久さんの思いが胸に突き刺さる本です。ぜひご一読ください。

 なお当店でも、高瀬さんのサイン入りの本が10冊

       定価1,200円(外税)


編 集 後 記

○10年来、富田通信を書き続けてきたワープロの液晶画面の文字が非常に見えにくくなったため、ついにパソコンを買ってしまいました。

 4月3日、届いたパソコンを箱から出し、説明書を見ながらやっとの思いで線をつなぎ、スイッチオン。それからまた、パソコン画面と説明書とを見比べながら、Windows95とやらのセットアップ・・・全て終わったのは2時間後でした。やれやれ、これで富田通信がパソコンで書けるぞと喜んで、ワープロソフトを起動させたまではよかったんですが、編集の仕方がさっぱり分からない・・・。ナンジャ〜コリャ〜!っという訳で、今回の富田通信もワープロの暗い画面とにらめっこをしながら書いてます。ア~ア、肩が凝る。

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