残暑お見舞い申し上げます。 7月下旬のうだるような暑さも8月に入って少し衰えをみせ始めました。日中の日差しの強さは相変わらずながらも、朝晩や日陰の中にこっそりと秋が忍び込んでいるようです。皆様はお元気でお過ごしでしょうか。 私はといえば、今年もまた8月24・25・26日の新庄祭りの山車作りに連夜励んでおります。(新庄祭りの山車は各町内毎に出し、全て各町内の若連の手作りで、今年は21台の山車が市内を練り歩きます)。 |
古い言葉で酒のことをみき(御酒)といいます。み(御)は文字通り尊称で、き(酒)が酒のことです。酒(き)という言葉は万葉集の中にも出てきますし、また今でも宮中で白酒(しろき)・黒酒(くろき)という酒が神事に使われています。 大昔の人は、アルコールという物質の存在を知りませんでしたから、この不思議な感覚を人間を超えたもの、神との接触と考えました。 そこで天変地異などを起こす神の怒りを鎮めるために、神に酒を上げてお祈りをし、その後その酒を神の前から下げて、皆で飲んで神との交流をはかったのです。 | |
私は、この神との交流をはかることこそが祭りの原形ではないかと思っております。それが証拠に私の知る限り、日本の伝統的な祭りは全て宗教的意味合を持っています。お供えなどをして神霊を慰めることを祭ると書くことからも分かると思います。 ですから、祭りには酒がつきものなのではなく、神に酒を捧げそれを飲んで神と一体化することこそが祭りだったのです。 今でも、一部の神事で、酒を神に上げ、それを下げて御神酒(おみき)として飲むのはその名残なのでしょう。 科学が進歩した現在、神の存在は忘れさられたようにみえますが、祭りが持つ非日常性こそ、我々が遠い祖先から受け継いだ神の記憶なのかもしれません。・・・乾杯。 |
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