明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。 今年は元旦から吹雪。2日、3日と晴れて4日も吹雪。今年の干支の様に何とも忙しい天気です。それにしても冬の景色は変化があっていいですね。吹雪の日は息も出来ないくらいの猛烈な風が積もった雪を巻き上げ、さながら雪女の息のように全てを白く封じ込めてしまいます。しんしんと音もなく雪が降る夜は、街灯に照らし出された雪がまるで桜吹雪のよう・・・。また、キーンと冷えた風の無い冬の朝は、木々の枝が霧氷で白のモール細工に変わります。特に1月6日の晩は、十六夜の月の光りを受けて、田に降り積もった雪が青みを帯びて輝き、その妖しくも清澄な景色に身の凍るのも忘れて立ち尽くしていました。 さて、富田通信も今号で100号を迎えました。書き始めた当初は、「100号まで続けばたいしたもんだ」ぐらいの思いは有りましたが、それはあくまで漠然としたもので、回りの誰も、もちろん私自身もまさか100号まで続くとは思っていませんでした。それが、気がついたら100号になっていました。そこで今回の富田通信は100号までの歩みを思いつくままに書いてみたいと思います。 |
昭和62年10月、愛用のバイクを売り払ってワープロを購入しました。それでもって富田通信を書こうなどと思って買った訳ではもちろんありません。昔から、何となく日記をつけるということに憧れながら、ことごとく三日坊主に終わっていた私は、浅はかにもワープロを買えば日記が続くと思い込んでしまったのです。しかし当然のことですがワープロは魔法の機械ではありませんでした。ワープロの前に座ればすらすら文章がでる・・・そんな筈はありませんものね。ワープロで打つ日記、いまだに書けません。 | |
当初、B5版の表1頁だった富田通信も6号からは現在の形のB4版の裏表の4頁になり、順調のように思えましたが、月を追うごとにお客さんの持ち帰る件数が減り、1年も経つとすっかりレジカウンターの置物のようになっていました。昭和63年12月、15号で区切りもいいし、そろそろ木を下りる潮時と思っていたとき、店に若くて綺麗な二人の女のお客さんがありました。 何でも自動車の免許を取るために大阪と東京から新庄に来ているとのこと。帰りの土産に地酒を買って帰るつもりとかで、色々話して、その日は富田通信だけ持って帰りました。2、3日してまたやって来た彼女らは実に驚くべきことを言ったのです。 「あの〜、これなんですか?」 見ると手にしているのは富田通信。 「それは、私が書いている物ですが」 「こんなに面白い物、大阪にもありません。ぜひ、送ってもらえませんか?」 !!!この一言は、木を下りようとしていた私を、更に高い所へ登らせるに充分でした。その彼女は大阪のT嬢。彼女こそ富田通信の第一の恩人なのです。 |
思い出と今後 8年の間には色々なことがありました。雑誌(サクセス)に載ったり、山形新聞や朝日新聞で紹介されたり、ラジオの出演もありました。 今後も、胸踊るような出会いがあるかぎり、また私の気力が萎まないかぎり書き続けたいと思いますので、よろしくお願い致します。・・・乾杯 | |