今年も残すところもう僅か。あたり一面うっすらと雪化粧をしております。酒蔵は、早朝から米を蒸すもうもうとした蒸気とともに活気を帯びております。今回の富田通信は酒造りの安全と良い酒が出来ることを祈る酒神の祭りについて、栄光冨士社長の加藤有倫さんに特別寄稿してもらいました。 鶴岡市大山地区には現在酒蔵が4社残っています。残っていると表現したのは昔はもっとあったからです。酒銘を挙げると、白梅、出羽の雪、大山、そして栄光冨士であります。 毎年、12月13日各蔵毎に酒神祭が執り行われます。(これとは別に、例年、7月15日には松尾神社の例祭を、地区内の醤油屋、酒販業者も交え共同で行っています。この松尾神社は最盛期40近い酒蔵を誇った大山地区の酒造業界の先人達が、京都の松尾神社から分社してきたものであります。) 当社ではこの酒神祭のことを、単に「さかがみ」と言っておりますが、朝からまず、伝統献立、曰く「さかがみのごっつぉう(ご馳走)」作りが台所で始まります。「からげ(エイ)と大根の煮物」「アラメと油揚げの煮物」「氷頭(ひづ)なます」それに「澄まし餅」「あん餅」などです。これらは、蔵人と家族全員の午餐に供せられます。ただ最近は「からげ(エイ)」の値段が高すぎるので、「棒鱈」に変わることも多いのですが。 |
次に仕込み蔵に行き、入り口に榊(さかき)の枝を置き、鈴を鳴らして大幣(おおぬき)で浄めて頂きます。麹室(こうじむろ)、ふかし釜、タンクも浄めて頂き、約1時間で神事は終了いたします。 さて、神事には直会(なおらい)が不可欠であります。当蔵では夜、男性は料理屋に、女性は会社内でと分かれて行います。料理屋には神官にもご臨席頂き花を添えて頂いております。幸いなことに当蔵の左隣に神社がありそこのお人柄の宮司さんですので本当に有り難いと思っております。 会社に残った女性群は、仕出し料理の折り詰めで和やかに直会を楽しみます。ただ、この時期は既に酒作りが始まっておりますので、翌早朝の仕込みがありますので、杜氏たちはほどほどにして切り上げるのが通例になっております。 心置きなく饗宴を楽しむのは、翌春になり、翌朝早起きの心配も無い、仕込み仕舞とか、甑(こしき)倒しと呼んでいる、その日の夜までお預けと言ったところでしょうか。 | |
文政2年(1819)の出版物「東講商人鑑」(鶴岡市立図書館蔵)には羽前大山酒銘柄として32銘柄が記録されており、弊社関連では、「冨士 加茂屋 専之助」と記されております。 町村制が布かれた明治22年(1889)大山村、翌明治23年(1890)大山町になり、昭和38年(1963)9月1日、山形県西田川郡大山町は鶴岡市に合併されたのであります。 江戸時代は概ね天領であったため、農民の年貢が低く、酒税も安かったのが、私見でありますが、酒蔵が多かった理由だと勝手に思料しております。 さて、私こと当家の家系では12代目になっており昭和11年生まれであります。4代目の専之助が安永7年(1778)親戚筋の加藤治右衛門から酒株24株を取得したと「大山町史」に記載されておりますので、これが創業と思われます。又、休業した年の記載もありますが、大過無くこれまで続いてこられたのは大変幸運としか言いようが無いと思います。 |
これからも、慧眼の富田氏のような流通業界の逸材の助けをお借りし、消費者の皆様の選択に応えられるような酒作りを目指して行こうと思っております。 | |
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