新庄祭りが終わったら、急に涼しくなりました。油絵のように質感があった回りの風景も、いつの間にか透き通った水彩画に変わりました。秋ですねぇ・・・。 名匠左甚五郎は“左きき"であったと言われますが、その左ききというのは左ぎっちょであったのでなく、実は酒の方が“左きき"すなわち飲ん兵衛だったんだとの説もあります。 ご存じのように、彫刻するときは右手に槌を持ち左手にノミを持って、トントンとノミの頭を叩いてするのですから、左手はすなわちノミを持つ手になります。甚五郎はそのノミの手の冴えで次々と名作を世に残したのですが、そのノミの手は彫刻を休む間には“飲みの手"としても大いに使ったとのことです。 |
それでは酒飲みを左利きという語源はその左甚五郎から出たかというと、源はそれより先、佐渡の金山から出たもののようです。というのは、金鉱地が大繁盛し、遊女屋などが軒をならべていたころ、金山言葉と言って、鉱山関係の言葉をもじった新造語が、ここを中心に流行しました。この「左利き」もその中の一つで、前述のノミを持つ手から「酒飲み」イコール「左利き」となったわけです。 しかし「ノミの手説」は説は説としても、盃はどうも左に持った方が便利であり合理的のようです。それは、独酌してみればよく判ります。お銚子と盃が卓の上にのっているとして、まず銚子を持つのは右手が普通です。すると、左手に盃を持ってコポコポと注いで飲むということになります。そして、肴は合の手に、右手の箸でつまむ のも、左ぎっちょでないかぎり当たり前のことです。 かりにあなた自身が飲ん 兵衛の気分になって考えて見てください。(かりにで なく、本当に“左利き"でしたらなおさらお分かりのことと思いますが)卓上の盃に右手で銚子を持って注ぎ、そして銚子を置いて盃を持ち替えて酒を飲み、またその盃を置いて銚子を持って酒を盃に注ぎ、そしてまた─── なんていうのは、きっとまだるっこいことに違いありません。そこで盃を離す間も惜しいので左手に盃を持ったままの独酌ということになりましょう。 | |
もう一つの見方として、盃を左手に持つのはイキな飲み方だとも言われます。もともと普通には、やはり盃も右手に持っていたのですが、役者か誰か、あるイキな男が左手で盃を持って飲んだのを他の人が見て、その手の運びもスムーズでもあって「なるほど、ありゃイキだ」というので、だんだん同調者ができていったのかもしれません。
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