第79号(94.04.10)


杜 氏

 3月末まで雪に覆われていた田んぼも、このところの陽気で黒々とした土を見せはじめました。庭先の雀のさえずる声も大きくなり、本格的な春が急速に始まろうとしています。

 先日、地元の酒蔵の杜氏(とうじ)さんと酒を飲みながら、今年の酒造りについてお話を伺ってきました。酒はもちろん、杜氏さん自慢の大吟醸の新酒です。
 酒造りを終えた安堵感からか、柔和な顔をさらにほころばせながら、
「年が明けてから造りを終えるまで休んだのは、たったの5日だけ」
「今年はモトの造り方をちょっと工夫してみたんだ」
「浸漬時間(米に水を吸わせるために水に漬けている時間)を今年は少し短めにしたのヨ」
「これは社長には内緒だけれど、蒸米を固くしたおかげで、粕歩合(もろみを搾った時に酒粕として残る割合)が高かったのヨ。酒は良いのができたんだけど、経済的に考えるとちょっとね」などなど───、 実にうれしそうに話すんですね。
 話を聞いているうちに、また素晴らしい出来映えの酒を飲むうちに、私はちょっぴり杜氏さんが羨ましくなりました。額に汗して何かを造り出す人々、生産することの誇りと喜び── 、素晴らしいですね・・・。
 でも、杜氏さん達の誇りと喜びとを皆様にお伝えすることこそ、私の仕事と肝に命じて、今回の富田通信は杜氏について『酒おもしろ語典』より書いてみたいと思います。


杜 氏

 酒造りに従事する職人は、すべて季節労務者で、越後、丹後等の雪の深い地方から冬ごもりの農閑期を利用して、大体11月頃から酒蔵へやって来ます。(山形県の場合は、杜氏を含む蔵人の大部分が地元の人間です。杜氏の7割以上、蔵人では9割以上が地元人です。)

 その一隊は、蔵の大小によって違いますが、大体12、3名から、20数名で、その隊長格の人のことを、杜氏と呼んでおります。
 杜氏は一般の工場でいえば、工場長と技術長を兼ねた大役ですが、蔵人一同と起居を共にするところは軍隊の内務班長殿のような立場でもあります。そして蔵人たちは杜氏を「おやッつあん」などと呼び、ちょうど一家の親父の如く親しみ、尊敬しています。
 さて、それではなぜその酒造りの頭領を杜氏というか調べてみることに致しましょう。
 まずその語源より考えてみますと、「とうじ」とは酒造の頭司ということだろうと思われます。ところが一方、平安時代には酒甕(さけかめ)のことを刀自といっていたそうで、のち、酒を造る人もそれと同じ刀自というようになったとも言われています。
 しかし、当時は酒造りの仕事は、概ね女の務めだったのですが、やがてそれがまったく男の専業となってきたので、この刀自が杜氏と変わり、刀自のほうは貴婦人の尊敬語となったとのことです。
 また『物類称呼』(安永・1772〜80)に「藤次郎と言うもの善く酒を造りたるにより始まる名なり」とあるが最も無造作で妥当な見方だろうと大槻博士の『大言海』では解しています。

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 それではその杜氏の字源はどうかと申しますと、それは今から4000年ほど前、中国で初めて酒を造ったといわれる人、杜康(とこう)からでたものとされています。

 とうじを杜氏というわけの今一つは、杜とは訓読みでは「モリ」で、しかも森林の森ではなく、鎮守の杜、お寺の杜とかいうときのモリですから、杜即ち古来の社(やしろ・神社)に通じます。したがって杜氏とはお神酒を造るものの司、即ち神官と同じ権威があるものなのであるともいわれています。


…… 編 集 後 記 ……

○先の国会の日切れ法案とかで、酒税の引き上げが決まり、5月1日より実施

されます。お金が足りなくなったら、取りやすい所から金を取る───。行政改革は何処へいったのでしょうか? 私も一度でいいから言ってみたい「かあちゃん、小遣いを上げてくれ・・・」

○4月1日。渓流の解禁日。雪を踏んで田んぼの中の小川に釣りにいってきました。10時からお昼までの2時間あまりに20〜24センチの光輝くヤマメが13匹。やっぱり釣りはいいですね~。

○淋しいことですが、「滝野川」での全国新酒鑑評会が今年で最後を迎えます。篠田先生の文を載せましたのでお読み下さい。


サヨナラをどんな形で  
     なくなる滝野川鑑評会

日本吟醸酒協会顧問 篠田次郎


 吟醸酒を育てたのはだれか。一つはこの幻の日本酒を飲む会である。だが、もっと大きい功労者を忘れてはいませんか? それはあの「滝野川」です。
 「吟醸酒」という言葉が辞書に登場する以前、酒のファンに知られる以前のこと、品質志向の地酒酒蔵は「滝野川」を合い言葉に品質を競った。低落を続ける日本酒業界の中で、高品質の吟醸酒が商品として「売れる」ことを知ってから、金賞を求めるものは「滝野川」に馳せ参じた。「滝野川」とは、いうまでもない全国新酒鑑評会を主催する国税庁醸造試験所の所在地である。その「滝野川」が消滅するのだ。
 まさか。東京都北区滝野川一~七丁目の地名が消滅するはずはない。よしんば改名なり他の地名と合併するとしても、本紙に取り立てて書くほどのことではなかろう。
 消滅するとは・・・。滝野川から全国新酒鑑評会がなくなると言うことなのだ。
 醸造試験所は、平成七年に東広島市へ引っ越しの準備をしている。あれだけの大所帯、黒猫、ペリカン、カンガルー、ふんどし(最近パンツに変身した)などの運送屋が簡単にできる仕事ではない。

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その引っ越しの準備と実行のため、明治四四年から連綿として続いてきた「滝野川鑑評会」は、平成七年は中止と決まった。その後つまり平成八年以降は、東京で開催されるのか東広島でやるのか、それとも廃止されるのか、いまのところわからない。
 情勢からすると「滝野川」で再開されることはなさそうだ。
 毎年、五月の第三金曜日の朝、王子駅から飛鳥山の脇の坂道を上がっていった千人を越す男たち、日本酒の最高品質である吟醸酒に命を掛けた男たちの合い言葉は「滝野川」であった。本年五月二十日にも全国から品質追及に情熱を燃やした男たちが「滝野川」に集まるのであろう。そしてそこに喜怒哀楽のドラマが展開されるはずである。
 喜びに打ち震え、落胆にひしがれ、試験所構内の縁石に腰を下ろした彼等、そして桜並木の下を去る彼等は再びこの場所でまみえることはないのだ。五月二十日の昼過ぎ、この「滝野川」を去った後は、品質を戦い合った戦士たちは再びここへは戻れないのだ。
 彼等はなんといってその場を去るのだろう。別れの言葉は? 別れの歌は?別れの形は?
 何もいわずに、何も歌わずに、何もせずに、この地を去るのだろうか。

 人との別れなら、それなりの形で表現できるのだが、「滝野川」との別れはどうしたらいいのだろうか。


 何も形に表さなくとも、離別の悲しみを堪えて去る杜氏がいるだろう。「滝野川」がなくなれば、金賞の権威も失われ、もう競争する必要がなくなるとほくそ笑みながら去る経営者もいるだろう。「滝野川」が日本酒に与えた功労の実績に思いを巡らすこともなく去る男もいるだろう。

 「滝野川」との別れを思うとき、私の胸の内は乱れるばかりである。

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