4月も八日を数えるというのに、朝起きると一面の雪景色。「冬が暖かかった分、春は寒い」なんて言葉を、訳もなく信じてしまいそうになる今日この頃の陽気です。 ところで4月といえば、学校、会社など新しく始まる月。富田通信も襟を正して「日本酒入門」と題して、日本酒の歴史を少しかじってみましょう。 それが記録上、米を原料とした酒の現れた最初のものと思われるからです。 天甜酒の「天」は天上界とか神の世界を意味し、「甜酒」はうまい酒を意味するところから、天甜酒とは、天の美酒というほどの意味となります。 |
コノハナサクヤ姫が新嘗の神祭のために造った天甜酒は、明らかに米を原料とし、しかも、カムタチ(米麹)利用の酒づくり方式による醸造酒という点で、まさに日本酒の原点なのであります。 その酒は、おそらくアルコール分の低い、今日の甘酒よりは酸味の多い、濁酒様の酒であったと思われます。 |
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現在の酒の原形ができたのは、ずっと時代が下がって、室町時代になります。その酒は、「諸白」、「諸白酒」と呼ばれる酒です。 諸白酒は、『多聞院日記』の中に初めて出てくる酒で奈良で生まれました。 では、なぜ諸白酒が現在の酒の原形と言われるのか、諸白酒の特色を書いてみましょう。 |
諸白の特色は、麹米、掛米ともに白米を使用したことで、実際、このことが諸白の語源となりました。 それまでの酒は、掛米には白米を使ってしましたが、麹米は玄米を使っていました。ちなみにこの酒のことを片白(かたはく)といいます。 今日清酒の火入れの目的は、生酒の殺菌、残存酵素の破壊、風味の調熟の三つとされていますが、諸白の場合も同様の目的で火入れがおこなわれました。諸白の火入れは、『多聞院日記』の1568年6月、夏「酒ヲニサセ」とあるのが初見ですが、これは、西欧の細菌学者、パスツールが低温殺菌(火入れ)を発見する、実に300年も前のことです。 以上のように、室町時代の終わりには現在の酒の原形が出来ていました。 | |
……… 商 品 紹 介 ………
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