第44号(91.05.10)

酒と文化と・・・

 桜の花が満開だったのが、ついこの前のような気がしていたのに、もう裏庭のスズランの花がほころび始めました。田は代掻きの最中で、早いところでは田植えが始まっています。ほんとうに新庄の春は、おおいそぎです。

 寒くもなく、暑くもない、じつに爽やかな五月。今回の富田通信は五月の薫風に誘われて「酒と文化と・・・」と題して、東京農業大学教授の小泉武夫氏の書かれたものをご紹介いたしましょう。

酒は文化の源泉

日本の清酒、中国の老酒、イギリスのウイスキー、ドイツのビール、フランスのワイン、ソ連のウォッカなど、世界の国々に特産される酒類は、その国独特のものであり、民族意識のひとつとして、それぞれの国民は、無限の誇りと憧れを持って育ててきました。民族が特有の酒を持つということはまた、その民族の歴史の古さと優れた文化を持つということにも通じるものです。世界の超大国であるアメリカでさえ、浅い歴史ゆえに、自国で生んだ酒はありませんから、いろいろな酒を混ぜて新しい酒の飲み方であるカクテルを考え出したほどです。

 酒を歴史の原点にさかのぼって考えると、多くの場合、宗教儀礼と深く結びついて創造され、育てられてきました。中でも、神─宗教の儀礼─酒という結びつきは、農作物の収穫の行事と切り離せない関係にあります。エジプトの酒の神オシリスは農耕の神でもあり、ギリシャのバッカスも農耕を導いた神です。わが国でも、農神祭や新嘗祭(収穫祭)に、酒と収穫とが一体となった行事をみることができます。

 すなわち酒は、人間と農耕の神を直接に結びつける重要な媒体であり、農耕文化と深い結びつきにあったのです。そして、神の御前(神社など)で人が酒をくみ交わすことによって、人々の団結を強くすることになり、また一方では、そこが農耕の情報や生活の知恵の交換場所ともなり、さまざまな文化が花開く原点の場でもあったのです。

お酒を楽しんだ万葉人

 お酒が日本ではじめて登場する古文書は、『古事記』と『日本書紀』で、ともにスサノオノミコトがヤマタノオロチを退治するくだりで出てきますから、奈良時代の初期〜中期ということになります。以後はさまざまな風土記や史記に酒が登場するようになり、また現存する最古の歌集『万葉集』にも、酒の歌がかなり多くうたわれました。

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 山上憶良の「貧窮問答歌」は、当時の貧乏人の生活心情を克明に描いたものですが、あばら屋に雪が吹き込んでいる夜、ふるえながら、辛うじて酒気を含む糟湯酒(かすゆざけ)をすする情景の歌は、わが身の貧窮ぶりを切々とうたっていて有名です。この歌には、酒を楽しむという風情はありませんが、『万葉集』の歌人の多くの歌には、酒の楽しみをうたったものが多くあります。

 万葉人中、第一の酒好きであった大伴旅人は、友が栄進して京に行ってしまったので、ともに酌むべき酒を、ひとりで飲むことになってしまった心境を次のようにうたっています。

 君がため 醸みし待酒 安の野に
      独りや飲まむ 友無しにして


 酒をことのほか愛した旅人には、「酒を讃むる歌十三首」がありますが、その中に、なまじっかの人間でいるよりは、いっそのこと酒壺になってしまいたいものだ、という意味の歌があります。これは旅人と酒を最もよく表しています。

 なかなかに 人とあらずは 酒壺に
     成りにてしかも 酒に染みなむ

 この他に万葉人の歌として、大伴坂上郎女の

 酒杯に 梅の花浮かべ 思ふどち
     飲みての後は 散りぬるともよし

なども有名です。この歌のように『万葉集』の酒宴で詠まれたものだけでも、30首近くもあります。

さまざまな文学を生み出した酒

 酒は昔から小説、歌、詩、随筆など、さまざまな日本文学の中に描かれてきました。ある作品には楽しい酒や嬉しい酒、そしてある作品には淋しい酒や悲しい酒の情景が心憎いほど表現されています。吉田兼好は『徒然草』の中で、

月の夜、雪のあした、花の本にても、心長閑に物語して盃出だしたる、萬の興をそふるわざなり。つれづれなる日、思ひの外に友の入りきて、とりおこなひたるも心なぐさむ。
冬、せばき所にて、火にて物いりなどして、隔てなきどちさしむかいて多く飲みたる、いとをかし。

と、酒への憧れを美しく記しています。清少納言も、紫式部も、それぞれ『枕草子』や『紫式部日記』で、また『平家物語』や『大鏡』、『吾妻鏡』、『太平記』などの不詳の作家らも、その作品に酒をひんぱんに登場させています。

 近代では『瓢箪記』の大町桂月、『酒ほがひ』の吉井勇のほか、久米正雄らの作品にもよく酒が登場します。

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また詩歌では与謝野鉄幹が「人を恋ふる歌」をつくり、酒をこよなく愛した若山牧水は

 
白玉の 歯にしみとほる 秋の夜の
     酒はしづかに 飲むべかりけり

を代表として、酒をとりあげた数々の歌を残しています。

 また、北原白秋も歌を愛した詩人で、酒に関した多くの詩を残しています。石川啄木も大変酒を好みましたが、生涯経済的に恵まれなかった彼は、酒に託して不満を述べ、心中の憂さを吐き散らした次のような歌が多いのです。


 こころざし 得ぬ人人の あつまりて
     酒のむ場所が 我が家なりしかな
 
 かなしめば 高く笑ひき 酒をもて
      悶を解すといふ 年上の友
 

…… 編集後記 ……
まったくの私事で恐縮ですが、五月三日に三番目の子供が生まれました。名前は耕介です。どうぞよろしくお願いいたします。

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