酒と文化と・・・ 寒くもなく、暑くもない、じつに爽やかな五月。今回の富田通信は五月の薫風に誘われて「酒と文化と・・・」と題して、東京農業大学教授の小泉武夫氏の書かれたものをご紹介いたしましょう。 |
酒を歴史の原点にさかのぼって考えると、多くの場合、宗教儀礼と深く結びついて創造され、育てられてきました。中でも、神─宗教の儀礼─酒という結びつきは、農作物の収穫の行事と切り離せない関係にあります。エジプトの酒の神オシリスは農耕の神でもあり、ギリシャのバッカスも農耕を導いた神です。わが国でも、農神祭や新嘗祭(収穫祭)に、酒と収穫とが一体となった行事をみることができます。 すなわち酒は、人間と農耕の神を直接に結びつける重要な媒体であり、農耕文化と深い結びつきにあったのです。そして、神の御前(神社など)で人が酒をくみ交わすことによって、人々の団結を強くすることになり、また一方では、そこが農耕の情報や生活の知恵の交換場所ともなり、さまざまな文化が花開く原点の場でもあったのです。 |
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山上憶良の「貧窮問答歌」は、当時の貧乏人の生活心情を克明に描いたものですが、あばら屋に雪が吹き込んでいる夜、ふるえながら、辛うじて酒気を含む糟湯酒(かすゆざけ)をすする情景の歌は、わが身の貧窮ぶりを切々とうたっていて有名です。この歌には、酒を楽しむという風情はありませんが、『万葉集』の歌人の多くの歌には、酒の楽しみをうたったものが多くあります。 万葉人中、第一の酒好きであった大伴旅人は、友が栄進して京に行ってしまったので、ともに酌むべき酒を、ひとりで飲むことになってしまった心境を次のようにうたっています。
酒をことのほか愛した旅人には、「酒を讃むる歌十三首」がありますが、その中に、なまじっかの人間でいるよりは、いっそのこと酒壺になってしまいたいものだ、という意味の歌があります。これは旅人と酒を最もよく表しています。
この他に万葉人の歌として、大伴坂上郎女の
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なども有名です。この歌のように『万葉集』の酒宴で詠まれたものだけでも、30首近くもあります。 さまざまな文学を生み出した酒 月の夜、雪のあした、花の本にても、心長閑に物語して盃出だしたる、萬の興をそふるわざなり。つれづれなる日、思ひの外に友の入りきて、とりおこなひたるも心なぐさむ。 | ||||
また詩歌では与謝野鉄幹が「人を恋ふる歌」をつくり、酒をこよなく愛した若山牧水は
を代表として、酒をとりあげた数々の歌を残しています。 また、北原白秋も歌を愛した詩人で、酒に関した多くの詩を残しています。石川啄木も大変酒を好みましたが、生涯経済的に恵まれなかった彼は、酒に託して不満を述べ、心中の憂さを吐き散らした次のような歌が多いのです。
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