花見酒
田圃の雪も消えて、畦や土手のあちこちにフキノトウが顔を出しています。 すずめのさえずりも大きくなり、裏庭の桜の花芽も幾分ふくらんできました。 春! もうすぐですね。 春といえば、花見酒。そこで今回の富田通信は、花見酒についてのあれこれを書いてみたいと思います。 花見酒(酒おもしろ語典より) 日本の歴史に残る最も有名な花見の宴は、桃山時代の豊太閤醍醐の花見といえましょう。これは奈良平安朝時代の花見と違い、一種の豪華な園遊会でありました。そしてその形式が変化しつつ、現在の花見になったようです。即ち、今日の酒は、大衆化された戸外の酒と言えますが、これは秀吉の遺した名残りであります。 徳川時代の花見の宴となりますと、もう太閤式の豪華なものはありません。家族同士、友人同士といったような、小グループの花見が盛んに行なわれ、小金井・御殿山・上野・向島はその大衆化された公開花見会所でありました。 そしてその頃の花見は、落語等で見られる、けちな大屋のおごりの長屋一同の屋外運動会であったり、また綺羅をかざる箱入娘の展覧会、今日のニュー・ファッション・ショーともいうべき衣裳自慢の会、あるいは隠し芸大会、和歌、俳諧の会であったり等々、いろいろの目的が花見酒に含まれていました。 |
そしてさらに吉原では、夜桜などを植え、天下の嫖客をここに吸引しようとつとめたということなどは、花見の方向転換であります。 また朝桜や雨中の桜を、独りしずかに眺めるために、ひょうたんを腰にして出掛ける風流人もありました。行く行くひょうたんの酒を飲み、また興の趣くままに立ち止まって、矢立てを出し、一句ものするなどというのは、正に俗世間から超越した花見と申せましょう。 「何事ぞ花見る人の長刀」と言ったようなことにもなりかねません。 さて現代の花見はいかがなものでありましょうか? 花見のたびにお巡りさんのご厄介になる方々がふえてきますと“トラ退治法”こと「酒に酔って公衆に迷惑をかける行為の防止等に関する法律」の適用がきびしくなって、世の多くの愛酒家にもご迷惑をかけることにもなります。 |
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