シャンパン物語 シャンパンの生産地、フランスのシャンパーニュ地方では、ずっと昔から、すなわち古代ローマ時代のシーザーの時より葡萄が栽培され、ワインの醸造を行なっていました。そしてこの地方に産出した泡立たないワインは、赤でも白でも、非常に高く評価されていました。 |
この地方の丘に栽培された葡萄の品種は、ピノ・ノワールと呼ばれる黒葡萄やシャルドネイという白葡萄で、これら優良葡萄から作られる良質ワインは、16世紀にブルゴーニュがフランスの領内に入るまでは、もっぱらパリの人々の間で愛好され、名声を馳せていました。もともと卓越性を誇っていたこの地方の泡立たないワインが発泡性のワインとして有名になり始めたのは、17世紀の後半からのことです。 盲目の僧侶、ドン・ペリニョン |
|
|
これは今日シャンパン作りに欠かせない最も重要な方法のひとつです。(シャンパンはブレンドによってどの原酒よりも良質な酒を作り出す。完全なブレンドをするために、どの畑のワインをどのような割合で混合するかは、各会社共、門外不出の秘密とするところで、これにより各社の製品にそれぞれ特徴が生じる。) 第2は、彼が酒庫係に任命される3年前(1665)に、英国で新酒のワインをびん詰めにして発泡性にすることが発見されていたのを知り、これをオーヴィレールへ導入したことです。 すなわち、ワインに塵が入らないようにするために用いられていた油をひたした大麻の詰物のかわりに、コルク栓を使ってみたのです。油がしみた大麻の布は、塵を入れはしませんでしたが、びんの中でワインが醗酵してガス圧を生じる可能性をはばんでいたのですが、コルク栓を使用したために醗酵不十分なワインでは、その泡立ちが内部に閉じ込められてしまう結果になります。 これがシャンパン作りの基礎です。 シャンパンの量産化の成功 このようにしてシャンパンは、ドン・ペリニョン在世の頃から徐々に世に知られるようになりましたが、まだまだ量産はされませんでした。 |
その分けは、シャンパンのびん内のガス圧を調整する方法が発見されていなかったからで、びんの破裂による平均破損量が40%にも及んでいました。そのため業者にしてみれば危険率の高いシャンパンを作るよりも泡立たない赤や白のワインを作っている方が良かったのです。 シャンパンは毎年1億5000万本くらい製造され、それを5年間熟成させると7億5000万本という莫大な数になります。シャンパン会社の酒庫は地下のトンネルですが、エペルネ市にあるモエ・エ・シャンドン社の地下トンネルの長さは、延長24キロメートルにも達するといわれています。 | |
|
去る11月28日、仙台で開かれた平成元年度・東北清酒鑑評会に行ってきました。きき酒の大きな部屋に入ると、何とも芳しい酒の香り、それにおびただしい酒の数。東北全部から集まるのですから凄いものです。 | |||