蟻のつぶやき

毎月アリンコがつぶやきます、
ブツクサと・・・。
蟻のように小さな存在のアリンコの、
つぶやきなんて、
みんなに聞こえるかなぁ〜。
 


2011年7月
根性


蟻やかた開設より1年2カ月。
それから、ジオラマ作り始めて1年が過ぎてしまった。
色々あったけど、諦めずに製作続行・・。

それにしても、このジオラマってやつは、
物を作るのが好きなことと、
根性ってやつがなければ完成できないということが、
いやと言うほど実感させられた。

仕事の合間にコツコツと製作、
それに、昔の風景ともなれば、
写真と絵とみんなの記憶が頼り・・。
ほんとは、今年の5月には完成の予定だったんだけど、
色んなハプニングで途中中断がしばしば、
こりゃ、もう半年はかかりそう・・。
めげそうにもなるけど、僕は蟻、
蟻が蟻たる所以はやっぱ根性だよ、
なんだかんだ言いながら、
昔の木友炭鉱完成、
やったー。





 2011年6月
災害

蟻館も豪雪による被害があった。
続いての震災、
いやまったく、一時は蟻館も閉鎖かな?
なんてつい思ってしまった。
こんな事態の中で、修理してとは無理にいえなかったが、
蟻館の建物を所有している団体の御好意で、
蟻館も修理していただけた。

感謝 感謝 感謝

これからまた気持ちを新たに頑張るぞー。

とりあえずはジオラマ製作進めなければ、
だいぶ予定より遅れてしまった・・。
それにしても、これ細かいよ、
でも、諦めないでやるのが、
蟻のど根性かな?
蟻はしぶとい、
蟻はしぶとい、
そんなこと、自分に言い聞かせながら・・。





 2011年3月
一厘の救い

この度の災害には言葉も無い。

地震に津波それに原発事故・・。
もしこの度の災害が、
必然であったとすれば、
1月でなくて3月だったことに、
神一厘の救いを感じるのは、
私だけだろうか?
もしこれが、1月だったら救済のためにの行動が、
未曾有の豪雪のため、身動きできなかっただろう・・。
思い返してもぞっとする。

被災地の方々、また亡くなられた方々、
またそのご家族の方々には、
ただただ、哀悼の意を表するのみ。
頑張ってほしい、
みんな頑張ってほしい・・。









 2011年2月
雪害

今まで生きてきて、今年ほど、
雪に恐怖を感じた記憶は無い。
雪には慣れていたという自負はあったが、
今年は、高齢の方も
「こんな雪の降り方は経験が無い」と言う・・。

鳥取とか島根あたりではドカ雪になったようだが
ここ堀内では昨年の12月はやや雪が少なめ、
こんな調子でいくのかな?
なんて思い始めていたが、
1月の3日ころからは、
毎日24時間 2月初めまで降り続いた・・。
しかもその量もすごかった。

そんなわけで、我らが美術館 蟻やかた も被害をうけた、
屋根のパラペットが雪に押されて傾き始めた・・、
建物の構造がよく解ってなかったため、
倒壊するのではとの恐怖が襲った・・。
急きょ親戚の建設会社に助けを求め、
10人位の人員とクレーンなど手配していただき、
応急処置を施してもらった。

そんなわけで、先月からPCどころの騒ぎではなかった・・。
最近はやっと春の兆し、
無事でよかったなぁ〜。
建物も、所有している団体の御好意で直していただけるし、
我らが普段着の美術館 蟻やかた も閉鎖の危機から、
逃れる事が出来ました・・。










 2010年12月
師走

今年一年を振り返って見れば、
自分の技術力の無さを痛感した一年だった、
物作りの道ってのは、
自分の未熟さを知る旅なのか?
でも、未熟ながらも挑戦し続けるのが、
アリンコ流、
蟻ってのは、辛抱強いのよ。

もう今月は、ジオラマ製作は無理だなぁ〜。

来年は、
頑張って、頑張って、
作るぞー。

それに今月はドカ雪が降るってか、
イケメンのブルちゃんの出番だよ、
我が愛車のブルちゃん、
出番ですよー。

それにしても、
師走とは良く言ったもんだ、
なんだこの忙しさ、
色んなことが重なっちゃってトホホ。






 2010年11月
ジオラマ製作



貯鉱舎の次は索道の小屋、
製作の楽屋裏はこんなもん、
絵の写真と昔の写真と、
写真を見るための拡大鏡・・。

やっと索道の塔と小屋が完成、
それにしても細かいなぁ〜。
昔の雑な造りの建物の再現、
建物にある程度の隙間があって、
おっと、索道の塔はあと四つ、
ここまでやらないと、満足できないアリンコ、
自分ながらあきれてしまう。

でも写真と昔の絵があってよかった、
特に絵があってよかった、色がわかるもんなぁ〜、
昔はカラー写真なんてなかったんだなぁ。
それにしてもこの絵はいいなぁ、
昔を思い出して熱くなれる。









 2010年10月
ジオラマ制作



完成した貯鉱舎だよ、
我ながらよくできたかな?
仮置きしてるこれ見て、
蟻やかたに見学に来たお客さん、

これ売ってたの?

これはここだけ、
売ってませんよ、どこにも・・。
この貯鉱舎は舟形町独特のもの、
これが、昔の舟形駅の顔だったかな?

まず建物を制作するにあたって、
指慣らしのつもりで制作・・。
これから、
みんながエンドレスと呼んでる、
トロッコの線路を保護する小屋と、
亞炭を運ぶ索道の小屋と、
選炭場の小屋と、
あははは、
つまり、先はもっともっと長いということ・・・。
さて、アリンコの根性と気力と情熱が持つか?
頑張れアリンコ。








 2010年9月
ジオラマ制作

アリンコは今住んでいる舟形町で生まれたわけでも、
成長したわけでもない。
しかし舟形と言えば炭鉱の町、
そんないイメージがあった。
子供の頃、舟形の駅を通過する車窓から、
貯鉱舎を眺めていたのを思い出す。
やっぱり懐かしい舟形駅の雰囲気を再現するとなると、
この貯鉱舎だよなぁ〜。

いざそのミニチュアを作る段階で、
困ったことが・・・、
たった二枚の写真だけが頼りだ。
拡大鏡を使って、
ここのところ毎日写真とニラメッコ。

ここでふと気がついた、
どのように使われていたか、
機能していたか考えた時、
その中から作るべきイメージがわいてきた。
やっと、制作着手。

やったるでぇ〜〜。








 2010年8月
ジオラマ制作


我々蟻やかたのメンバーの一人が、
鉄道ジオラマのバック背景を、
ある画家の方に頼もうとした。
体よく断られてしまったみたいだが、
アリンコにとっては冷や汗ものだ。

まさかこちらの希望として、
ジオラマの脇役として描いてとは頼めない。
画家ともなれば一生懸命描くだろうし、
いやはや、冷や汗タラリの世界だった。
そんなこともあって、
結局アリンコが描いた、
いや染めたと言った方がいいのか?

気合いだ〜

なんて叫びながら描いてるアリンコ。
その様子を見ていたメンバーが吹き出してしまった、
あははは、思い出すとアリンコ自身も吹き出してしまう。

でもね、
結構気に入ったのできちゃったみたい、
吹き出してたメンバーも、
オカリナのテープ聴きながら、
目の前の未完成のジオラマ見ながら一言

「いいなぁ」

だってよ、
ちょっといけてるみたい。








 2010年7月
面白いなぁ〜




蟻といえば日陰者の代名詞みたいなもの?
(これって、アリンコだけの偏見かな?)
そのつもりで長年蟻人形作ってきたアリンコ。
しかし今年は蟻が主役に??
それも日本全国でスポットライトが当るとは、
アハハなんだこれは、
日本全国の街町に蟻があふれる事に・・、
アリンコにとってこれが面白くなくて何が面白いか。

しかしアリンコが蟻たる所以、
今日もコツコツとジオラマ制作、
淡々と黙々と、
まるでそのことを知らぬかのように。

お盆にはここに帰って来る人々がいる、
その人々のために、
「故郷はあなた方を忘れていませんよ」
そんなメッセージを贈りたくて。

それって何?
8月末になれば、みんな解るよ。







 2010年6月
ジオラマ制作

やっと鉄道模型のジオラマ製作に着手。

我らが美術館の特徴は、
いつまでも完成させないこと。
どっか動いている。
しかし、
今回のジオラマ制作はちょと手ごわい、
なんせ鉄道模型なんて初めてだし、
それに、40年以上も前の駅の雰囲気出そうってんだから、
問題は、映像記録の少なさ。
これはしょうがないのか、、
その当時はカメラはまだ高級品、
個人で所有することが贅沢な時代だものなぁ〜、
あとは、高齢の方の記憶が頼りだ、

意地と根性と我慢で頑張るか・・

と言いつつ、だいぶ形になってきた。
ちょっとペースが早すぎるのかな?
お盆には帰省した方達の、
想い出になるようにしたいもんだ。

SLの模型を試験走行させながら、
みんな、この列車で故郷を後にしたんだなぁ〜
ふと、当時の情景が浮かんでくる。

こりゃ当分はまりそうだ。









 2010年5月
普段着の美術館

普段着とは、
心の中のこと、
別にスーツ着てるから入っちゃダメ、
そんな意味じゃないんだよ。
「そんなことわかってるよ」
そう言われそう・・。
でもさ、作業着のまま、
長くつはいたまま入れる、
そんな美術館あんまり聞いたことないぞー。

美術芸術と言えば、
なんか心の中で構えちゃって、
展示会などに行っても、
入り口でなんとなく緊張して、
展示作品見ても、理解しようと腕組みなんかしちゃって、
あはは、アリンコがそうだったものだから、
そんな自分に嫌気がさして・・・。
もっと素直になればいいものを、
いつもそう思ってた。

やっと展示も終えて、
色んな作品群に囲まれて、
結局一番楽しんでるの、アリンコ自身だよ、
展示場付きの工房、
いや、工房付きの展示場か?
えへへ、そんなことどっちでもいいけど、
ま、蟻やかたは、
趣味の世界のおすそ分けってとこか・・。
こんなんじゃ緊張するわけもなしか?

とりあえずオープンして、
近所の方々にも喜んでいただけたし、
めでたしめでたし・・。

でも、ここからが船出、
もっともっと頑張るぞー、
面白くなるぞー(アリンコ自身が)。






 2010年4月
蟻やかた

我らが普段着の美術館の入り口に、
やっとこんなチラシが貼られた。

近日オープン

4月に入ってからは、毎日掃除、
やはり築後30年位経って、
一年以上放置されていた建物は、
その歴史みたいなものを感じてしまう。
本来ならばうんざりするとこなのだろうが、
毎日、壁面の汚れ落としたり磨いたりしていると、
逆に、楽しんでいる自分に気がつく。

もしかして、掃除もアートといえるかも、
汚れた壁面の下から、
建てられた当時の色合いが戻ってくる、
これがまた楽しいんだなぁ。

新築された建物よりは、
使い古しのスコップの柄で作った蟻人形には、
古い建物がふさわしい、
妙に納得してしまう。
掃除の合間に、
音楽など聞きながら、
コーヒーなど飲んでると妙に心が落ち着く、
もう何年も前からここに住んでるような気持ちになれる、
この場所でよかったかも・・。








 2010年3月
普段着の美術館
蟻やかた


今年やっと蟻人形の落ち着き先が出来る。
今までは、あっちこっちの施設で展示させていただいていたが、
今度は地元舟形町堀内に展示する場所ができた。
これも過疎化が進んだせいで、
ちょっぴり複雑な心境・・。

蟻人形や、地元舟形の方々の制作した作品が中心、
もっと他に目玉もあるし・・。
しかし美術館と呼べるかどうかは疑問、
どうせ、この変わり者のアリンコのやること、
今までの既存の展示場とはちょっと違う、かも かも・・。

我々団塊の世代の子供のころ、
田舎じゃ、そう沢山の楽しみは得られなかった。
そこで、楽しみは祭りと、
あとは、中学生のお兄さん方の文化祭、
これは楽しかったなぁ〜、
その時期が近付くと、ワクワクしたよ。
現在は、ちょっとのことじゃワクワクしなくなってしまった、
今一度、ワクワクできないか?
そんな感じ、もう一度味わってみたい。

それに、ちょっぴりは、
訪れてくれた方の心、
モミモミできたらいいなぁ〜。

雪も溶けてきたし、
もうそろそろ準備にかかるぞー。




 2010年2月
縄文の女神 その6


アリンコ制作の女神

縄文の女神制作から手を引いてから、
すでに10年以上経ってしまった。

アリンコは今までの過ぎ去った時間の虚しさを、
蟻人形を作ることで紛らわせてきた。
しかし去年9月、
我が舟形町出土の土偶(女神)が、
大英博物館に展示されることとなった。
当然レプリカも注目され始めた。

アリンコが制作から身を引いてから、
気がつくと、たった一人の方が細々と制作していたが、
その方も手の故障でもうこれ以上制作できない状態だった。

ある方より縄文の女神のレプリカが、
どうしても欲しいとの依頼があった。

もうアリンコ以外に作れないか、
しょうがない、アリンコが作るしかない・・。

9月から製作開始、

なんか、なつかしいなぁ〜

制作しながらブツブツつぶやくアリンコ・・。

ふふふ、やっぱこれ近代美術だよ

アリンコは蟻人形も作らなければならんし、
忙しくなるなぁ〜

作ってみたい方は、
いつでも挑戦できま〜〜すよ。
でも、みんな途中で悲鳴をあげる人が多いなぁ〜、
これって、簡単には作れないんだよ、えへへ。
でもでも、苦労して作った後、眺めるのは格別のもの・・。






 2010年1月
縄文の女神 その5

4600年前この女神を作った方は、
たぶんこんな女神が頭の中にあったのだろう、
そんな形を作ったことは作ったが、
まだちょっと謎が残った。
それは模様である、
ある部分の模様がどうしても再現できない。
結構苦しいもの、
でもある程度の形が再現ができたとのことで、
町では、欲しい方には販売もするとの記事を発表してしまった。
講習会などを開いた結果、
数人の方が制作を担当することになった。

しかし世の常、
最初に制作したアリンコに取材などが集まる・・。

悩んだ・・・・。

これじゃ、制作されてる方たちの励みにならん、

アリンコはあくまでもお手伝いのつもり、
他にやりたいこともあったし・・・。

再現できない部分の謎を残したまま、
制作から身を引いた・・・。

そのころ、いろんな問題が、
アリンコの身の回りで起き始めた。
最悪だった、体調もおかしくなり始めた。

でも、ひとつだけいいことが、
この間、再現できなかった部分の謎が解けた、
しかし、制作から身を引いたアリンコ、
意見を言ったりすることはできなかった・・。

続く





2009年12月
 縄文の女神 その4

アリンコの制作した親型


土偶を、作られたその時代の方法で作ってみると、
いろんな事が解ったような気がした。
まず一言で言うと難しい、
この女神の形を作ることが不可能のようにも思えた、
しかし、実物が目の前にある・・・。
と言うことは誰かが作ったわけで、
いやもう、この土偶を作った方には敬服と言う言葉意外に言葉が無い。
しかもなぁ、4千5百年も前に・・・。
まず、そのデザイン力と言うか美的感覚に敬服、
作る過程での集中力に敬服、
まったくたまげた・・。
しかし、ちょっとだけ疑問が生まれる、
完成したものが、頭の中に描いたデザインそのものだったのだろうか?
本物をよく観察すると、
中心点が右に寄っている、
そのため、本物はゆがみがある、
そのゆがみも、美ととらえればそれはそれでよし、
でもこのデザイン、完全に左右対象を狙ったものに思える、
ゆがみは、あの作る工程の難しさから想像した場合、
やむを得ないものと思う、
でもやっぱ、頭に描いていたものと完成したもの、
ちょっとずれがあるよなぁ〜。
そう思えた。
事実、実物をある角度から見ると、
最高の近代美術なんだよなぁ〜。

ここでアリンコ、
その頭の中にあったデザインを完成させてみたくなった。
昔ながらの素材を使って・・。
陶芸家の方にも相談した、
工業試験場にも出向いた。
そこで得た結論は、
割り型による制作方法だった。
割り型には親型がいる、
前にも話した通り、
予算などありゃしない、
話によれば、プロに依頼すると、この親型に一番予算がいる、
やっぱ、自分でやるしかないか?
コツコツ コツコツ、
作り続けてやっと完成。
気が付いたら、
ここにたどり着くまで、
女神出土から、もう3年くらい経っていた。

続く




 

2009年11月
縄文の女神 その3

当時アリンコが描いた酒のラベル

お酒のラベルも何とか成功、
素人が作ったラベルのデザイン、
その素人さがよかったのか、
あっちこっちよりおほめの言葉も頂いて、
マスコミにも取り上げて頂けて、
お酒の売り上げのほうも意外なまでに売れた。

しかし、等身大の木彫りの女神を彫っても、
満足できないアリンコ・・。
やっぱり、土偶は土じゃなければだめ、
そんな不満が溜まってくる。
しかし、陶芸などやったことのないアリンコ、
そんなもん作れやしない。
そんな時、
舟形町の小学校の教育の一環として、
プロの陶芸家の指導のもと、土偶作りの陶芸教室をやるという、
お誘いを待つまでもなく参加させていただいた。

しかし、たかが粘土で形を作るというが、
高さ45センチもある細長い形状・・、
粘土をある程度の形に積み上げるだけでも至難の業、
円形の筒状の物ならば、
粘土をひも状にして積み上げる方法や、
ロクロで形を整えることも可能であろうに、
しかも、誰が見ても美しい形状に仕上げるなど、
不可能にまで思えた。
しかも4600年も前の技術で・・・・。

実際、多くのプロの陶芸家が、この形に挑戦するも、
なかなか、思い道理にはいかなかったみたいである。
ますます、謎 謎 謎
ここで諦めることが出来たならば、
もっと、楽な人生を歩めたはずのアリンコ・・・。
また何年も挑戦が続くことになってしまった。



当時児童生徒と一緒に作った女神、
高さが36センチ、形もとても満足とは程遠い物。


続く




 2009年10月
縄文の女神 その2

縄文の女神 実物写真 高さ約45センチ

我が町の商工会では、
その後、なんとかこのチャンスを生かせないかと、
有志一同(なぜかその中に入れられてしまった)連日会合。
その会合の場で何か発言しようものなら、
アリンコにとって、大変なことに?
イラスト描くのが面白かったし、
生業も忙しかったし、
そんなわけで、時間がなかったし・・・。

でもでも、この口がつい開いてしまった、
後悔先に立たず、
やっぱ、町のチャンスは逃したくなかったんだなぁ〜、
その会合で、アリンコの持ってるアイデア話してしまった。

最初はこけしのようなものの制作、
実物大の木彫り、
お酒のラベル制作に記念酒の発売、
包装紙のデザイン、
お菓子の包装紙のおまけまでついて・・・。

最初は、どこでも同じ、
認められるまでは予算などありゃしない、
プロなどに依頼する金もなし・・。
しょうがない、
アリンコがこつこつとやるはめに、
最初の、こけしのようなもの、
今見ると、ひどいもんだった。

そんなわけで、
ちょっと、みんなにお手伝いのつもりが、
結局、先頭を走ってしまってた。
その段階で、
アリンコの大事にしていた、
ラッチンのキャラクター制作は、
お休みになってしまった。

続く







 2,009年9月
縄文の女神 その1

平成4年山形県最上郡舟形町からとんでもないものが発掘された、
高さが45センチもある日本最大の土偶である。
大きさもさることながら、
その全体から感じる美しさに驚嘆した、
誰しもが?いや少なくともアリンコは体が震えるほど感動した。
時代は、4600年位前に作られたものだという。

こりゃただ事ではすまんだろうと思っていたが、
案の定、実物は県のほうにお召し上げ、あはは、やっぱりなぁ〜。
ほんとは、この町に置いて頂けたらこんな観光資源はないのになぁ〜。
その後、そっくりに再現されたレプリカが町に飾られた、
精巧なもの、かなり高額なものだという、
しかし実物が取り上げられちゃ、観光資源にはならんしなぁ〜。
また、発掘された場所の上には、
高速道路が・・・。
ま、高速道路建設の予定がなかったら、
発掘されることもなかったわけだし、
皮肉だなぁ〜。

それにしても、これだけのもの、もったいない、
そのうち、誰かが、なんとかするだろう、
そう思っていたし、またイラスト描き始めたばかりで、
その面白さに、はまっていたアリンコ、
結構、毎日忙しくて、
ただ様子を見てるばかり。
ただ、本物がない悔しさは感じていた。
チャンスなのに、チャンスなのに・・・、
繰り返し、繰り返しそんな悔しさがこみ上げてくる日々・・。




続く


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